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美意識を鍛える。

今日、BOOK-SMART というサービスで、この本の要約を読んだ。

「アート」と「サイエンス」や「クラフト」が主張を戦わせると、必ず「サイエンス」と「クラフト」が勝つ
「なんとなく、これが美しいから」という理由で主張を展開するアート側に対して、財務面その他の定量的分析の結果を盾にして、別の主張を展開するサイエンス側、過去の実績に基づいて「それはうまくいかない」と反論する経験豊富なクラフト側が対等な立場で戦えば、アート側の敗北は目に見えている。

というあたりは、自分のいままでの経験が次々に思い出されて「ホントそうだよなー」と思わされた。

「なんとなく美しい」というアートは、サイエンスの定量分析やクラフトの過去の経験ほどの説得力を持たない。だから議論になると「うううう…」となってしばしば負ける。

でも、ウォークマンの頃のソニーやジョブズの頃のアップルはそのアートを大事にした。そこには誰にも真似できないビジョン、ストーリー、世界観があった。そして、アートがない企業は、消費者が最終的に行き着く「自己実現的便益」を満たすことができないと本書はいう。

全くだ、と思いながら先に進むと、もっと興味深いことが書いてあった。
それは美意識と不祥事の話だ。

不祥事を起こす新興ネットベンチャーは「開始の判断=経済性、廃止の判断=外部からの圧力」という構造になっている。美意識に代表されるような内部的な規範が機能していない。「法律で禁止されていない以上、別に問題はないだろう」というのが、彼らの判断基準になっている。

でも、法整備よりもシステムの変化が速い現代では「法律的にギリギリOK」という判断で動くと、大きな倫理上の問題を起こすリスクがある(多くの企業がそういう問題を起こしてきた)。

美意識はここでもやっぱり「なんとなく」だ。経済性ほどの説得力はもたない。それでも「なんだかそれは美しくない」という倫理性をもっていない、「サイエンス」と「クラフト」だけで突き進む人や組織はしばしば不祥事を起こす。

この本は企業の話としてこのことを書いているが、コロナ禍の各国政府の対応にもみられるし、一個人でも同じではないかと思う。自分の中で「サイエンス」や「クラフト」が勝ちすぎてしまうと生命力が失われるし、倫理的にどうかと思えることにも手を出しやすい。

そして「それは『鍛える』ものなんだなぁ」としみじみと思う。
アートを大事にする、と言っても、それは温室で保護することではない。「なんとなく」の弱さを抱えたまま、多くの困難にさらされ、敗北を繰り返してもなお、残り続けるもの。

そんなふうにして風雪に耐えたものが、足腰の強い美意識になるのだと思う。

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