夢と魔法の裏の国。
「大丈夫」「ありがとう」「面白い」「楽しい」「幸せだ」
口にしている言葉はポジティブなのに、なぜか苦しそうな人たちがいる。
不自然というか、険しいというか、時にはどう見てもしんどそうに見える。
で、「大丈夫じゃないんじゃない?」なんて聞くと「大丈夫大丈夫!」と声のトーンが一段高く、強くなったりする。仕方がないので、それ以上なにも言わない。でも、違和感は残る。
駅のホームで酔っ払いが「酔ってない」と主張するように、その人たちは夢を見て酔っているのだと僕は思う。
なぜそこまで言えるのか。
そりゃもちろん、僕自身がそういう人だったからだ。
僕は日常の中に「いいこと」を見つけ、それを賛美する。それをたくさん見つけることで「しあわせな人生」になる、という生き方をしてきた。
そして、他の人と接するときには「こうあってほしい人生」を語ることを好んだ。
楽しくてうれしくて幸せ。つらいことなんて何もない。そんな人生だ。
他人のみならず、自分に対しても同じように語った。「ほら、こんなにしあわせじゃないか」というプレゼンテーションを繰り返し「俺はしあわせな人生を送っている」と思い込んだ。
いま思えば、それは自分にかけた魔法だったのだと思う。
そうすることで、僕は痛みや傷に触れずに済んだ。
けれど、だんだんとそれでは立ち行かなくなった。
楽しいことを話しているつもりなのに怒られたり、相手の「いいところ」を見つけたつもりが不快に思われたり、「そんなバカな」と思うようなことが増えた。
そこに不安や焦りや悲しみや苦しさがあるのは、明らかだった。
けれど、そこに触れたらダメになってしまう気がした。実際どう触れたらいいのかも分からなかった。
だから、その部分を指摘する人たちに僕はこう言った。
「えっ、自覚がない」と。
現実を前向きに捉えていくことは、まったくもって悪いことではない。むしろ、生きていく上で大事なことだと思う。でも、それは不安や焦りや悲しみや苦しさを認めた上でないと、閉塞する。
「しあわせ」を語ることで見ないことにしていたエネルギーは、なくなってはいなかった。閉塞させていたそれは、ある時点から日常に噴き出した。
人生は大いに混乱し、僕は太陽を求めたイカロスのように墜落した。
それで分かったことがある。
なんと、つらいことを明かした方が人といられるのだ。僕はよく「弱みを見せたほうがいい」と言われることがあったが、本当だった。
それはやさしく、あたたかく、安心感があった。こんなにダメな自分に思えているのに、肯定されていた。
肯定とは、否定的な要素を取り除くことではない。
否定的に思える自分もひっくるめて、大きく抱擁するように包み込むことなのだ。
いいこととは言えないけれど、でも仕方がなかったね。
悪いこととは思えないけれど、ちょっとしんどかったね。
そんなふうにふんわりと人生を捉えることができるようになっていくと、他の人のポジティブさの中にある険しさに敏感になった。
気になって尋ねてみると、そこには悲しさや寂しさやつらさ、痛みがあった。それを聞かせてもらっているとき、僕は安らかな気持ちになった。そして、相手も落ち着いていった。
人の話を途中で裁いて遮らない方がいい理由も、おそらくここにある。
会話において「本当に感じていること」に至る間には「本当ではないこと」を先に出す過程があるからだ。
落ち葉でいっぱいの道をほうきで掃くように、人はまず傷を語る。
それは時に暴言になることもある。激しい怒りを伴うこともある。
それでも、言い聞かせている「よい言葉」よりもそれらの「ひどい言葉」の方が聞きやすかったりした。
たぶん「いいこと」か「悪いこと」かよりも、閉塞しているかどうかの方が大事なのだ。それは呼吸そのものだから。
先月、こういうことがあった。
「男が『男になる』とき」というワークショップの案内をしていたとき、僕は熱心にやっていたのだけれどブレた。そのことをすぐさま、師、本郷綜海さんにたしなめられ、修正できた。
僕はものすごく頑張っていた。頑張ることは、たぶんいいことだ。でも、頑張ることで人からの批判を受けづらくしたり、独りよがりになったりすることもできる。
綜海さんの指摘のおかげで、僕はそうならずに済んだ。助かった。
開いている頑張りと閉じている頑張り。
一見ポジティブに見えるだけに、その違いの見極めは重要だ。
「よさそうに見えるけれど本当ではないこと」は、人を閉塞させやすい。そして、閉塞は孤立につながる。実は寂しいのに、それに気づけなくなる。
そのときの自己肯定は人を酔わせるけれど、現実逃避にすぎない。
そして、逃げようとしている現実のほうが、もっとずっとあたたかい。
で、別に逃避したってかまわないと思う。
逃げなきゃやってらんないときもある。
でも、しばらく逃げたら戻ってきたらいいと思う。
僕の知る限り、現実は思ったよりもずっと優しく、楽しい。
夢から醒めた現実は、なおも夢なのかもしれない。
でも、それは前に見てた夢よりきっといいものだ。