ずっと

ずっと。

それは奥さんの誕生日会のことを考えているときだった。

ふっと、こんな考えが頭をよぎった。

「あ、ずっと一緒にいたいって思っていいんだな。」

ずっと ずっと ねぇ
こんな風にしてね
ずっと ずっと ねぇ
生まれる前からね

これは大変古い曲だが、永井真理子の『zutto』。
昨日は『愛は勝つ』のことを書いたが、この曲も「やまだかつてないテレビ」で使われていた。ずいぶん熱心に観ていたものだ。

この曲に限らず「ずっと」という言葉は歌の中に頻繁に登場する。
いま検索しても、ベリーグッドマン、aiko、スパイシーチョコレート、青山テルマといった人たちが「ずっと」というタイトルの曲をつくっている。

GLAYの『ずっと二人で』もそうだし、意味を転じて「Forever」まで広げたら、X JAPANだってミスチルだって「ずっと」を唄っている。

けれど、歳を重ねていくと「ずっと」というのは、とても難しい言葉だという事が分かる。「ずっと一緒にいるよ」と若い頃は簡単に言っていたけれど、おいおい、そういうもんでもないぞと思うのだ。

「ずっと一緒にいてね」

そんなふうに言われて喜ぶのは、若さである。
そして、僕は「ふむ、そんなことができるんだろうか」と思ってしまう、ややこしい人だった。

人と人とは、先々どうなるか分からない。
心変わりをするかもしれないし、お互いにとって本当のことを選んだ結果、別々の道を歩むならば、それは成就と言えるだろう。

そんなふうに思っていた。
まして、僕たちの関係は綱渡り以上に危うくて、特に今年はそうだった。
時には「なんで一緒にいるんだろうね」とお互いに笑ってしまうくらい。

理屈で言ったらおかしいのだけれど、なぜか一緒にいる。
「ずっと一緒にいる」から、かけ離れた関係が続いていた。

だから「ずっと一緒にいたい」は思ってはいけないのだと思っていた。
明日がどうなるかもわからないのだから、思うだけつらくなる。

でも、その気持ちはあった。
翌日の誕生日会で喜んでいる顔を想像したら、想いがあふれた。

誕生日会ぐらい、思っていること言ってもいいよね。

そう思ったら出てきたのが「ずっと一緒にいたい」だった。

あるものはある。
そして、仮にそうならなかったとしても、最悪ものすごく悲しいだけだ。

そのことを認めたら、なんだかラクになった。
誕生日カードに思いの丈をすべて書くことができた。

「ずっと一緒にいたい」と思っていていい。
そう思ってしまう自分を許すことにしたのだ。

奥さんはその日の誕生日会のことを、こう表現している。

"お誕生日会"っていうか
"今年も奇跡的に一緒にいましたね"の会。

本当にそうだった。当たり前じゃないのだ。

婚姻届を出しても、指輪をしても、人は人を縛ることはできない。
僕たちはなぜか一緒にいる。奇跡的にいられている。
そっちの方が本当なのだ。

だからこそ、ありがたい。
今年の誕生日会は、例年以上に心のこもったものになった。

ずっと二人で生きてゆこう
幸せになれる様に
(GLAY『ずっと二人で』より)

この曲は結婚式の定番になっているという。
そんなふうに歌って、神や仏や人に誓わなくてはなんともならないのが「ずっと」なのかもしれない。

毎日毎日、一緒にいられること。
それは奇跡的にありがたいことなのだ。

そして、僕たちはいつもそのことを忘れる。
それでいいんだと思う。

そうして積み重ねていった月日が「ずっと」と言えるくらい長くなったら、こんなにうれしいことはない。

「ずっと一緒にいたね」

そんなふうに言って死ねたら最高だよな。

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