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私たちは小さな存在だが、思うよりは大きい。

一昨日までの博多行きが思ったより強烈だったので、いつもお世話になっているキュットンさんにカードを引いてもらった。

キュットンさんのカード占いのことは、これまでに何度も書いているが、いずれも人生の岐路の強い助けとなった。

最初に奥さんから紹介されたとき、若干いぶかしく感じたのもなつかしい。いまでは肩が凝ったら整体に行くように、認識のゆがみを補正するためにたびたび相談させてもらっている。100分の持ち時間を終えると、なんだかスッキリするし、それまでより視野が広くなっている。

今回は、この先の進路の安全を「そうだよね」と確かめるような時間になると思っていた。実際、そういう時間になったのだけれど、それでも意外なことに気づかされるのが、キュットンさんとカードたちのすごさだ。

バランス

中でも印象に残ったのは「バランス」を意味するこのカード。
「バランスをとる」というと、なにかを残し、なにかを捨てる、取捨選択のイメージが強かったのだけれど、ここには僕の得たいものすべてが描きこまれていた。

総取りしてもバランスが保てるなんて、思いもよらなかった。
このことを聞いていなかったら、普通に優先順位をつけて、どれかを諦める努力をしていたと思う。

そして、このことが意味するのは、総取りしてもバランスが保てるだけの器が自分たちにあるということ。僕自身にもあるということ。

人は自分のことを肯定したり、否定したり、過大評価したり、過小評価したりするが、僕のような「見えないもの」と関わる生き方をしていると、その評価を定めるのはますます難しくなる。既存のものさしがちっとも当てはまらないからだ。

また、自分をよく評価することには「うぬぼれ」「ナルシスト」「尊大」といった悪いイメージがつきやすい。だから謙虚なふりをして卑屈になったり、「僕には期待しないでください」というポーズをとるうちに自信をなくしていったりする。

欲しいものを総取りしてもバランスを保てる自分、というのは、僕からみるとずいぶんバイタリティーのある器用な生き方に思えたが、カードは「それが自分なのだ」と伝えてくれた。

もちろん、そこには自分を支えてくれる人たちの支えがあって、さらには土地や精霊のような「見えないもの」の支えもあって、その意味では自分というのは、世界を構成する小さな一部分にすぎない。

しかしそれでもそれは、この世界に欠くことのできない、偉大な一部分なのだということを、今日のカードは教えてくれた。

キュットンさんにカードを引いてもらうと、世界をより肯定的にみることができる。特に悲観的でない僕ですら目線を下げてしまうようなところが、暮らしの中にはあるらしい。

知らず知らず陥っているそんな視野狭窄から抜け出すと、世界は自分が思うよりずっと広くて寛大だと気づかされる。その広さにふれることで、僕は自分の小ささと大きさを知る。

キュットンさんにカードを引いてもらうことは、視力検査のようなものだと思う。人は存在しないと思っているものを見ることはできない。カードを通して視界の外にあるものを「ありますよ」と知らされることは、ただちに僕らの世界の見方を変えてくれて(だってカードのかたちで「見えて」しまうから)人生の助けになる。なにより楽しんでるうちにそれが起きてしまうのが、いい。

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