ふつうになりたい_

ふつうになりたい。

妹の家族は、旦那さんが公務員で、妹はパートに出ている。
四人も子どもがいるのは珍しいけれど、魂も傷も本質も話題に上がることのない、ごく一般的な家庭だ。

うちは誰かの誕生日になると、家族みんなで集まってパーティーをする。
そこでいっしょに過ごしていると、つい妹と自分の人生を比べてしまうことがある。

妹は、昔から現実的で「安定」を大事にして生きてきた。
受験も推薦でパスして、就職も問題なし。あっさり結婚して出産して「そんなにスムーズに生きられるものか」というぐらい順調に人生を築いてきた。想定外だったのは、四人も子どもができたことぐらいか。

一方、兄の僕は、安定よりも「面白さ」を大事にして生きてきた。
結果、ずいぶん起伏の激しい、訳のわからない人生を送ることになった。安定した企業を辞め、あちこち飛びまわって、話を聞くことや人の本質や歌に傾倒していった。

妹よりだいぶ遅れてようやく結婚できて、婚姻届を出したとき「これでふつうになれた!」と喜んだっけ。でも、その後の夫婦関係は、ぜんぜんふつうじゃなかった。

妹のように、ふつうの子がふつうに暮らせるのをふつうに守っていることがとてつもなくすごいことに思える。「男になる」とか「鬼」とか「聞くことの深み」とか、躍起になってしゃべってはいるが、僕はいつまで経っても「ふつうを守る」ところにいけない。それどころかだんだん離れている気がして、その遠さを思うと途方に暮れてしまう。

なにやってんだろ、って時々思う。

もっとふつうになりたかったな、とも。
こんなこと一切知らずにね。

それがないものねだりなのは、分かっている。

わーわーしゃべったり書いたりしているうちに、僕の足はふつうからかけ離れた人たちのところにばかり向かってしまう。そこには魅力があるし、僕が乗った船と潮の流れがそうだと言っているのだから、どうすることもできない。

それでも、誕生会で両親や妹の家族と過ごして、めいっぱい「安定のよさ」に浸ると、こんなふうに影になった部分が浮かび上がる。

「オレだけ、明らかにちがうよなあ」と。

いまは別居していて、ひとりぼっちの家に帰るので、孤立感がいっそう際立つ。

別に消したいわけじゃない。
これは僕が引き受けなければならない、大事な寂しさなのだと思う。

「みんなみたいなふつうじゃなくていい」

という「ふつう」にたどり着くまで、あとどのくらいあるのだろう。

その旅路は理解者も少なく、ときどき孤独だ。

だからね、やっぱり僕も家族がほしいなと思う。

安心できて、理解し合える、自分の家族がほしいなあ。

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