見出し画像

【朗読後期】読み分けは難しい

朗読では1作品の中での「読み分け」も重要な要素です。
まず考えるのは会話文の時ではないでしょうか。誰が話しているのかわかるようにします。手法のひとつが声の高さを変えること。子供や女性は高めに、男性や年寄りは低めにというものです。地の文もありますから登場人物が2人くらいの時にはこれで凌げます。器用な人は七変化で登場人物ごとに声色を変える人もいます。私は声色の数はあまりないので、違う部分で音に変化を出しています。
朗読をする方の多くが工夫するところであり、苦労するところではないでしょうか。

今回は我那覇孝淳さんのnoteから『多人称小説』という作品を読ませていただきました。
我那覇さんは毎日短編小説をアップしていらっしゃいます。「ある話」を別の視点で綴る「別の視点の物語シリーズ」のファンです。湊かなえさん作品もそうですよね。物事を別の角度で見ると意外なことがわかるものです。おすすめです。

この『多人称小説』の朗読はとても難しかったです。と言ってもいつもとちょっと質が変わります。こういう構成の作品を朗読したことがなかった、というよりもお目にかかったことがなかったので、ぜひチャレンジしたいと思いました。

この作品はタイトル通り、人称(視点)が入り乱れています。一般的には一人称とか三人称で最初から最後まで統一するします。部分的にここは主人公の独白の部分などと物語の構成上混在することもありますが。さらにこちらでは二人称というこれまた特殊な視点も用いられています。これは読みの練習テキストとしても大変面白い作品だなと思いました。

「台詞の読み分け」はパーツ的な読み分けですが、作品ごとの大きなものとして捉えると「人称による読みわけ』が必要だと考えています。

一人称は「私」が語るストーリー
二人称は「あなた」を語るストーリー
三人称は「誰か」を語るストーリーです。

ならば当然主人公が語りかける相手が変わります。作品によってはその人数も変わるでしょうし、場面によっても変わります。そうなると声の向きや広がり、距離が当然変わってくる。

でも今回は特殊です。1作品中に短い範囲で人称がコロコロ変わっていきます。なので何度も読み分けをしなければなりません。流れが切れないように声色は変えないようにしました。自分では頑張ったつもりですが、うーーーーーん……もっと違いを出したかったなあ。

特に二人称の部分。一人の読者(あなた)にピンポイントで話すところと、若干距離をとって主人公(あなた)がその先の読者に向かうところがいまひとつ。
練習の時にもいくつもパターンを試しました。でもやりすぎるとクサイ芝居になってしまいます(「古畑任三郎」のオープニングを劣化させたみたいな)。雰囲気読みで誤魔化せるものではありませんでした。特にこの作品は。
一人称は落差をつけるために独り言風にしました。自分に向かって語りました。ここはまあまあかな。
三人称は対象からグッと離れたつもりですが、文末の処理が不安定ですね。

おそらくひとつひとつの単語のレベルでの気配りがまだ足りないんでしょう。下げすぎて、もしくは上がりが足りないがために文章が切れて聴こえてしまうところに違和があります。文末の音の落差に違和感が出ないようにどこをどこまで上げておくのか、もっと的確にコントロールできるようになりたいです。

また今回学んだのは発声です。自然に話している感じが出したくて力を抜いたら、声そのものに力がなく不安定になりました。力を抜いたように聞こえる声を出すにも力が必要なんですね。
「自然な感じに聞こえる」というのは、決して力を抜いてフワッと読んだからできるというものではないようです。自分が「自然に」と思うだけではなし得ない。そう聞こえなければ意味がない。台詞ではなく朗読なので、お芝居とはまたちょっと違うところなのかもしれません。


部分的にいいところもあったので少しだけ進歩。これを安定させるのが今後の課題……というかずっと課題のままです。

今回もたくさん反省しました。次につながるよう頑張ります。
よかったら聞いてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?