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【朗読後記】亡き人を思う〜『智恵子抄』を読んでみた

今回は詩を朗読しました。高村光太郎の『智恵子抄』から3編選びました。
私が『智恵子抄』を知ったのは教科書でした。あの頃はそれほど感動もしなかったです。そんなものかな程度でした。(国語そのものが好きではなかったので、どんな作品を読んでもあまり心に響きませんでしたが……。)
最近になって改めて読み返しました。語彙力がないので、良さをどう伝えるのが適切なのか思い浮かばないのですが、この思いの変化が伝わってくるところが特に沁みました。実体験と思いを重ねて感じでいるのですから、子供の時に理解できなくて当然です。

話は変わります。11年前の3月11日、東日本大震災がありました。もう11年も経つんですね。関連した出来事も含めると、さまざまな悲しみと不安が一度に押し寄せました。あのとき大切な方を亡くした方の中には、まだ暗闇の中に佇む人もいるかもしれません。

私は震災のだいぶ前に母を亡くしました。そのときに色々重なったこともあり、私の人生の中でとても大きな傷になりました。
今はこうして自分が苦しかったと言えるようになりましたが、こうなるまでには相当の時間を要しました。

私がこの傷を癒したものがいくつかあります。
一つ目は夫の存在、二つ目は若松英輔さんの著書『悲しみの秘義』、三つ目は大学で心理学を学んだことです。
自分の弱さを突きつけられ、励まされ、過去の自分を改めて受け入れ、亡くなった人を思い、自分の心の動きを客観的に見つめ直すという流れでした。
辛い体験というのは人それぞれで、他人の体験と比較することはできません。でも「深い悲しみ」は時の流れの中で、その質や意味合いが少しづつ変わっていくというのは、どなたにも共通することではないかと思うのです。

この『智恵子抄』から選んだ3編は、最愛の智恵子が亡くなる瞬間、お葬式での別れ、そして智恵子と共に生きる今を綴ったものです。
『元素智恵子』では完全に立ち直ったようにも見えますがそうではありません。日付順に綴られたこの詩集では、智恵子に語ったり、思い出したりしながら、「かなしみ」がいろんな形になって現れます。「かなしみ」が消えてなくなることなんてないんですよね。
でも生きていくためには下を向いて立ち止まっているだけではいられない。前を向いて歩かなければ。でも時には立ち止まってもいいし、振り返ってもいい。

暗闇にいる誰かが顔を上げるきっかけになればいいなと思い『智恵子抄』を読みました。

詩の朗読はあまりしたことがありません。難しいからです。文字数は短くても、ひと言一言に思いが詰まっています。
この「智恵子抄」では作者の感情(悲しいとか嬉しいとか)の単語を用いている所はほとんどないと思います。その場の出来事や現象で気持ちを表現しています。
私が選んだ3編では「あなた」「智恵子」「わたくし」などを繰り返しています。そこをどう読むかに気を遣ったつもりです。
拙い読みですが聞いてください。

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