見出し画像

【エッセイ】バナナとおじさん

 車を運転中に面白いものを目にすることがある。信号待ちの時でもあればじっと見ることができるが、大体は視界に入り「あれ?」と思った瞬間に目の端に消えてしまう。二度見、三度見をしたくても、運転中はそうはいかないことがしばしばである。

 先日運転中に見かけた人の話をしよう。時刻は昼過ぎ。晴れ。交差点を左折するときにその人は左側の歩道、横断歩道の手前で信号待ちをしていた。年の頃は六十前後。紺色のトレーニングウェアの上下を着て紺色のキャップをかぶっていた。体格は中肉中背。おしゃれさは一切感じない。微妙に栄えた田舎町では標準的なおじさんだろう。普段なら記憶にも残らないようなその人がなぜ気になったのか。それは自転車に乗っているそのオジサンがバナナを食べていたからである。
 バナナを食べながら信号待ちをしている人を見たのは初めだ。しかも大人が自転車に乗りながら。大きな交差点なので信号待ちの時間は長めである。それにしてもだ。そのわずかの時間でバナナを食べる人がいることに軽くカルチャーショックを受けた。その上、横断歩道の真ん前であるにもかかわらず、邪魔にならないようによけている様子もない。信号が変わったらすぐに自転車をこぎ出すつもりなのだろう。
 自転車の前カゴは空だった。服のポケットにしまうにはバナナは長くて収まりにくい。落してしまう可能性もある。どうしてもバナナを食べたいのにそんな危険を冒すとは考えにくい。もしも落としたことに気が付かなければ、道ばたに一本だけあるバナナは謎を呼び、「野良バナナ」などと言われてTwitterのいいネタになったかもしれない。
 オジサンはきっとバナナを一本だけ前カゴに入れてそこまで来たのだ。バナナはぶつけると黒くなるから運転には気を遣ったことだろう。
 オジサンはどうしてもバナナを外で食べなければならなかったのだ。一本食べるのに要する時間はせいぜい2~3分。でも自転車に乗る前に食べる余裕はなかった。かなり急いでいる。なおかつ行先で食べるわけにもいかない事情があった。だから自転車で移動中に食べることを選んだ。
 あれは忙しいオジサンのランチタイムだったのだと解釈すると合点が行く。バナナは栄養価が高い。牛乳を飲んで栄養バランスをよくしたいところだが、自転車に乗りながらであること、カゴに入れにくいこと、手はもうふさがっていることなどを考慮すれば飲み物をあきらめたことも頷ける。

 ところで、バナナと言って何を思い浮かべるだろうか。
南国の果物。柔らかくて甘い。黄色。子供が好きな離乳食。カリウムが豊富。黒い斑点の名前はスウィートスポット。安売りでひと房98円、でも昔は高級品だった。遠足に持っていくときには弁当なのかおやつなのか問題。
そういえば、バナナの皮はなぜ滑るのかを証明して日本人がイグノーベル賞を受賞したのは記憶に新しい。
 だが真っ先に思い出すのはやはりサルやゴリラだろう。実はそのバナナを食べていたオジサンの顔を覚えていない。思い出そうとすればするほどサル顔になっていくのだ。そう、誰かに似ている……。そうだ!私の父だ。父は年齢的におじいさんなのでその人とは似ていないはずだが、一度頭の中で変換されてしまった姿はもう元に戻すことができなくなってしまった。

 これもバナナのチカラなのかもしれない。
                              〈了〉

※トップ画像は自転車カゴのアップです。赤い自転車で黒い前カゴです。男性がハンドルを握っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?