失敗を越える鳥
最近、自粛期間の反動からか、近所の友達とサッカーをしている。高校生までサッカーはやっていたから基本的なことは大体できる。はず。それでも2年間怠惰を共にした体は正直で少し動くとすぐ悲鳴を上げる。
毎回必ずやるのが4人か5人で行う「鳥かご」というもの。1人鬼を決めて、残りの人で鬼を囲んでひたすら鬼にとられないようにパスするという簡単な遊び。鬼が鳥かごの中の鳥のようだからこの名がついた。取られたら鬼になり、ボールを取ったら入れ替わる。
失敗したら鳥になり成功したらかごの外に出る。
僕の場合失敗したら待っているのはずっと親か先生だった。何回も待っていないであろう別の道を探してきたが、必ず彼らは怒りとともに僕を待っている。
よく思うのは失敗の数は減ったけど1つ1つが大きくなっていて、失うものも大きくなっているということ。
当たり前のことなんだけど、当たり前に失敗を隠す道を探した昔から、今は当たり前のように失敗を避けた道を進む。
失敗するリスクよりもやってみる価値がある方を
大好きな言葉。失敗なんか恐れずに自分の中にある面白そう。楽しそう。という感情を優先していたい。
多分、「価値」に挑戦するには超えなきゃいけないものがあってそれが親や先生。
気が付けば昔僕のことを待ち構えてた人たちは、今は道の途中の超えなきゃいけない通過点になっている。
きっと、抜け道を全部塞いでたくらい大きな彼らを乗り越えられれば、その先に待っている失敗なんて、
スイスイと飛び越えられる気がする。鳥みたいに。
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