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授かれなかった悲しみは失恋に似ている説


昨日は初めての体外受精の判定日だった。結果は陰性、つまり妊娠の可能性ゼロ。つらくて帰りの電車でも家でも泣いた。声を上げて泣いた。

どうしてこんなにつらいのだろうか。悲しんでも仕方ないことぐらい、妊活で繰り返し涙を流している人はみんなようくようく知っていると思う。
泣いても仕方ないとか、前向きにやろうよとか、せっかく挑戦するなら楽しまないととか、ポジティブな人に授かるんだからとか……部外者や、場合によっては夫までもが「善意」の「励まし」の「つもり」で声を掛けてくるのが、この世界の「普通」だ。
「善意」の「励まし」の「つもり」だろうと重々承知しながらも、全然ありがたがれない。説得力がない。そんな陳腐で大雑把なロジックでは元気を出せそうにない。

一度妊娠した子どもを喪う流産ではなく、ただ「妊娠しなかったこと」がこんなに毎月のように痛手になるのはなぜなのか。本音を言えば、母になっている人や妊婦さんへの劣等感を覚えるのはどうしてか。
無意識にずっと気になっていた。



Yahooニュースかなにかで記事になっていたのがキッカケで、インスタに掲載されている「胎内記憶」関連のマンガをおととい読んだ。

この方は長女さんがある日、お母さんのお腹にやってくる前にいた世界のこと、こっちへ来た時の方法、お腹の中にいた間のこと、などなどを語り始めたそうで、お嬢さんから聞いたお話を親しみやすくマンガで発信されている。

「胎内記憶」の話は正直これまで大キライだった。
ある3児のママが親切心から話してくれた内容に、非常に苛立ったからだ。

生まれてくる子どもはお空からカップルを見ていて、自分で両親を選んでやって来る。
夫婦の関係になにか問題がある間は来ない。二人が幸せで満たされることが妊娠には必要。
うちは夫となんでも言い合える仲だしケンカしてもすぐに忘れてしまう。
仲良くしてれば子どもはできる。

全然悪気がなく善意であることは百も承知なんだけれど……
子どもを授かるかどうかが夫婦関係の優劣に直結する話のように思えて、受け入れられなかった。
じゃあシングルマザーはなぜ存在するの? とか、虐待されてしまう子はなぜそこの家に生まれてきたの? と思うと、俄然うさんくさく感じた。

だいたい、夫婦の関係に完璧なんてない。
「人前では気丈に振る舞っていても心の中で泣いていることはありませんか?」とか「本当は優しくなりたいと思うことがありますね?」とか、誰でもどこかしら思い当たるようなことを言って吊り込もうとする占いみたいなもので、
「夫婦の日常はうまく行っていても、どこか本当の本当は納得のいかないところや相手に言えないことがあるんじゃないか?」とわざわざ目を皿のようにすれば、そんなの永遠に100点満点にならない。ずっと授かれないじゃん。
そして、うちは早々に赤ちゃんが授かったから上手くいっている夫婦なんだと無邪気に表明されると、わーすごーい尊敬しますマネしたーいという気持ちには全然なれなかった。あっそう、よかったですね、と割り切らないと精神的に持たない。



おととい見つけたマンガは、なんか全く違っていた。
理論的にとっても納得がいき、ネガティブな印象が払拭され、「胎内記憶」を敵視しなくて済むようになった。
作家さんはもともとスピリチュアル関係には距離を置いているタイプだそうで、自分が子どもを産んだことやお嬢さんが不思議な能力を発揮し始めたことに対して、こう、特別感で浮かれたり酔ったりしていないところが、素敵だ。


赤ちゃんは空の上から両親を選んでやって来る。それは間違いないのだが、別に、より愛し合ってる夫婦のところに来るなんて単純なものではないらしい。
赤ちゃんたちは千里眼ではなく、思い定めた両親がどんな人かは、実際に生まれてみないと分からない。
慎重に親を決める子、よく見ずパッと行っちゃう子、好き嫌いでなく条件で選ぶ子、選択のタイプはいろいろある。
母親の元へ向かう時は虹色のすべり台を通るらしいのだけど、あの人の子供になりたいと思ってもすべり台のないケースがある。そういう場合、神様の助言で行き先を変える場合だってある。
ほか、障害を持って生まれてくる子のこと、流産のことなどの話題も興味深かった。

このマンガの単行本の宣伝文で編集さんは、「真偽の追求はせず、【胎内記憶ガール】のお話を楽しんでいただき、考え方が少しでも豊かに明るい方向へむかっていただけたら幸いです」と書かれている。
私も真偽の追求には興味がないし、「信じたい」みたいなことでもない。
ただ、妊活との付き合い方に大きなヒントを与えてくれるなと思ったのだ。



「胎内記憶」の言うところを前提にすると、授からなかった理由には大まかに3パターンあることになる。
赤ちゃんは興味を持ってたけど来る道がなかったか、道はあったけど赤ちゃんに選ばれなかったか、道も赤ちゃんの気もなかったか。
来る道があり、赤ちゃんが選んで来てくれて初めてマッチングが成立する。タイミングが非常に大事だ。


この感じ何かに似ているなと思った。そうだ恋愛だ。
外的な条件とお互いの選択があって初めて結ばれることができる。

妊娠できなかった悲しさは、失恋の、選ばれなかった悲しさというか、結ばれなかった悲しさに似ている。
そう思うと、なぜ毎月のことなのにあまりに新鮮に血の噴き出すように悲しいのかが腑に落ちる。



だとすると……多少は建設的に考えられることが出てくる。

第一に、モテとマッチングおよび幸せは必ずしも直結しない。
マッチング成立しないととかく「人気」のありなしをやみくもに悩んで「モテ」に走ろうとしがちだ。
が、一回の結婚で相手は一人なのと一緒で、一回の妊娠で向き合う赤ちゃんは一人(ないし一組)。だから、モテないモテないって焦る必要はなく、ご縁のある一人(ないし一組)と結ばれれば十分なのである。
だから、変な話、お空に向かって手広く媚びる必要はない。かえって繋がれたはずの人と繋がれなくなってしまうかもしれない。

第二に、こだわってもしょうがない。
マンガによれば、赤ちゃんがどの夫婦の元に生まれるかは、けっこう流動的に検討されているらしい。長いこと待てないから別のおうちに行くことになった、なんていうことが日常的に起こるらしい。
ということは、「運命で決められたこの世にたった一人の白馬の王子様」の夢とほどほどに距離を置いて、視野を広げてもう少し現実的に、カジュアルに恋人を探すのと同じ心構えで妊活に向き合うといいのかも、と思った。

「運命の人」って一般には「結ばれると運命で定められている人」だとされているけど、個人的には「運命“である”人」だと考えている。
つまり、運命っていうのは、私とか彼そのもののことであって、「これに巻き込まれてもいいかなと思って」選べる相手を「運命の人」と呼べばいいんじゃないかと。二人の生活は、運命のより合わせなんだと思っている。
赤ちゃんは運命にガチガチと縛られて来るんじゃなくて、私たちという運命を選んで降りてくる、という考え方。
だとすると、一回一回の喪失感から少し解放される。

第三に、あらためて、自然妊娠でドヤッてる人からの不妊アドバイスは疑っていい。
大学時代、人より早く彼氏ができたり男を絶やさなかったりする同級生たちはさも恋愛マスターのようにドヤ顔で周りにアドバイスを賜っていたけど、社会人になってから人生で初めて彼氏に振られ、アイデンティティクライシスに見舞われて病んでいた。
彼氏ができるのと恋愛力は、重なる部分はあれど、別のことだ。
同様に、授かっているからといって妊活のアドバイスをできるほどその道に長けているわけではない。聞きかじりの知識での干渉なら、距離を置いて構わない。



頑張っても成果に結びつかない妊活との付き合い方にずっと悩んできたけれど、
10代からトライ&エラーしてきた恋愛にもしちょっとだけ似ているのなら、
未来の保証はないにせよ、もうちょっと地に足付けて、主体的に歩んでいけそうだ。


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