見出し画像

日記 2024.6.2(日) 先祖の痕跡の残るこの場所から。


5時半過ぎ、起き上がる。今日はまたひとりの生活に戻っていく日。今朝はいつもよりさらに少し早めに起きた。台所はお母さんが切り盛りしていることを確認し、わたしもどんどん家事を進めていく。洗濯物を干して長靴を履き、パジャマのまま畑へ出る。今日は朝から風が強くて少し頭痛がしてぼーっとするのだけれど、畑に出たり外の空気を吸うとすぅーっと良くなる。
お礼を言いながら畑にたっぷりと水のシャワーをかけていく。じゃがいもと里芋はまだ芽が出ていないので土の中の様子をイメージしながら水をかける。土の中がまだいいのかな、どんな芽が出てくるのだろう。
まだ日も登らない、だけど明るい時間の庭もいいな。6月、山の中の緑は歓喜に満ちている。

朝ごはん、お母さんが失敗作のらっきょう漬けを使ってタルタルソースを作ってくれた。失敗らっきょうを細かく刻み、ゆで卵と混ぜてわたしに味見せよとスプーンを差し出す母。寝起きで歯磨きを済ませたばかりのわたしはなんの疑いもなくスプーンの上のものを口に含む。強烈な塩気と刺激がわたしを襲って一気に目が覚めたのだった。朝一番に口にしたものが不味いらっきょうとはいかがなものか。慌てて台所へ向かい、ゆで卵を増やしてらっきょうを減らし、豆乳マヨネーズをぶちゅーっと入れて味を調節していく。まだ舌に変な塩気が残っているので再度味見してもなんだかよく分からない。タルタルソースは野菜の揚げ物にのっけて食べる予定だったのだけれどキャンセルして付け合わせのレタスと合わせて食べた。みずみずしいレタスとタルタルソースはよく合って意外な発見ができたからよしとしよう。

おっと忘れていた、お母さんに「今日もかわいいねぇ」と伝える。これ、結構効果ありでここのところお母さんの機嫌が大変よろしい。忙しい朝に不安のあるお母さんにこのことばをかけるだけで1日が機嫌よく始められる。そうだそうだ、心から褒めて褒めて褒めまくる。わたしたちに足りないのは自分を、人を褒めること。

朝ごはんの時間はなんだか微妙にさみしい雰囲気。お父さんはわたしが実家を離れる日には露骨にさみしがるのでわたしとお母さんにもその雰囲気が伝染する。いつものように振る舞おうとするわたしの姿もなんだか空回りして見える。

今朝も朝からお腹いっぱい。やや肌寒くくもっているけれど自分が使った布団を干してパジャマやシーツも洗濯したので干しておく。実家であっても立つ鳥跡を濁さず、がわたしは好きだ。お風呂場も洗って掃除機をかけて、洗った車の冬タイヤも倉庫にしまった。最後にたくさん過ごした台所の掃除をしよう。しかしその前に、強い眠気に襲われ1時間椅子に腰掛け眠った。お父さんは外でぶどうの木のお世話、お母さんは台所で書類の整理をしているようだ。

1時間眠ってもどうにも調子が上がらない。お父さんに頼んでコーヒーを淹れてもらうもののだめだ、治らない。仕方なく久しぶりに頭痛薬を飲んで動くことにした。

台所の床を水拭きする。実家の台所は6人家族だった頃から大好きな場所。小さな台所を気にしていたじいちゃんは6人家族になったのをきっかけに増築するようにお父さんに願い出たのだそうだ。実家にくっつける形で増築したので10畳くらいある広い台所となった。じいちゃんは自分と同じ境遇のお母さんを気遣う面があった。実際二人は仲がよかったと思う。たくさんの書類が広げて大変なことになったりしているけれど、お母さんにとって台所は特別な場所なのだろう。近ごろはお父さんも台所に立つ時間がどんどん増えてきているのでみんなの場所に戻りつつあるがお母さんはちょっと嫌そう。どちらかというとお父さんの方が台所仕事は向いているとわたしはずっと感じているのだけどな。まあ、言わないけれど。

水拭きした気持ちのいい台所でお昼ご飯を作っていく。自家製のくんせいベーコンももうこれでおしまいだから焼いてみよう。お父さんはやっぱりもっと脂が多くてジューシーな方が好きなようで今回のくんせいに納得が言っていない様子。わたしにはとっても美味しい。くんせいベーコンに加えて量り売りの店で買ったズッキーニとたけのこ型のキャベツ、玉ねぎをグリルして塩麹で和えて食べることにした。お母さんはサラダを担当する。並べたり飾ったりするのが好きなのでサラダ作りはお母さんに合っている。きれいに可愛くブロッコリー、きぬさや、トマト、塩もみにんじん、ラディッシュを並べてドレッシングをかける。そういえば量り売りの店で甘夏も買ったのだったと思い出し、切子ガラスの器に盛る。無人の量り売りの店で買った野菜たちが本当にどれもこれも美味しくて驚いてしまう。甘夏も甘味や酸味は少ないけれど粒がしっかりとぷりぷり、みずみずしい。

お昼ご飯を食べ終わる頃にお父さんが急に親らしいことを言い出してきた。これから仕事はどうするのか、なんの仕事に就くのか。わたしは真面目に答えたくなかった。
昔から時々見せるお父さんとお母さんのこういうところがわたしは苦手だ。弟とわたしはじいちゃんばあちゃんに任せて自由に思うままに、自分中心好き勝手やってきた父と母。わたしは父と母のその自由さが素敵だと思っている。わたしもあんな風に自分を大切にしてみたい、そう思ってきた。いわゆる子育てみたいなことはほとんど無関心で成績や進路にも口出ししたことはほとんどないのが心地よかったはずなのに時々でてくる親らしい振る舞いにわたしはどうしても拒否反応を示してしまう。夫婦のいい悪いも家族間のいざこざも全部むき出しにしながらやってきた人たちじゃないか。こんなところで親みたいなことを言うのはなんだか変だなぁ。二人にはどうかこれからも自分の道をとことん進んでほしいのだが。

青梅の梅干し、塩漬けした色がなんだか変で気がかりだ。毎年梅を漬けるお母さんは、なんとかなるさと言っている。わたしは梅仕事は2年目だし、最初から最後までぜんぶひとりで梅干しを作ったことがない。こういうときはお母さんのことばが心強い。心配な梅干しをお母さんに託した。わたしも今年から自分でいちから梅干しを作ってみようと思う。毎日の生活はしっかりと節約に努め、梅干しや味噌の貯金はしっかりやっていく。

お昼ご飯を食べてもうひと仕事。干していた布団を取り込みシーツを付けて広げておく。お昼から風もおさまりいい天気になってくれた。布団もおてんとうさまの光をいっぱいに浴びて殺菌されたはず、よかった。お母さんと共同で敷布団にシーツをかぶせていく。この作業は二人でやる方が断然効率がいいはずだけれど、お母さんとわたしはいつも息が合わないから可笑しい。
さあ、わたしの仕事はここでおしまい。実家の仕事がたっぷりできるとき、いつもわたし、暇でよかったなと思う。

お母さんは少し昼寝。冗談ぽく、泣いちゃいけないから一緒に駅までは送らないと言っていたお父さんもわたしのことばに負けて駅まで送ってくれることになった。駅までの道はお母さんひとりで送ってもらうには少々心配すぎる。お母さんが起き上がるのを待って、実家から30分の場所にある新幹線の駅まで送ってもらう。道中の車内はいつもの雰囲気。お母さんとわたしがヘチマの苗を植えたかったと言ったらお父さんが探してくれることになった。ドクダミの化粧水用に焼酎が必要だというお母さんに、お父さんの焼酎を提供してくれることになったり、わたしは去っても実家の暮らしはもう前に進んでいる。

日曜日だというのに妙に空いている自由席に乗り込みひと安心。背もたれを倒して外を眺める。お父さんのさみしがる姿がやっぱり心に残っていて久しぶりに帰りの新幹線で泣いた。

実家にいる時のわたしは、あの頃のわたしのままなのだろうか。少なくともお母さんとお父さんにはわたしはあの頃のままうつっているようにみえる。いくつになっても結婚して子どもを産んで孫を見せて欲しいと願う父。お母さんの兄たちの子どもがみんなそうだから、わたしにも実家の近くに戻ってきて欲しいと願う母。わたしには十分に気持ちは伝わっている。それでもわたしのこころが楽しくないことはしないと言っている。わたしがそのどちらも最善だとは言わないのだ。
けれど、どんなに着飾ってどんなにきれいなピカピカの靴を履いて都会に暮らしても、わたしの根源はいつも実家のあの場所にある。わたしは土の上で生まれ、山の中で鳥の鳴き声を聴き自然に囲まれて育ったのだ。この地を安心安全の場所だと選んで暮らした先祖たちの痕跡のある場所。実家のある場所はわたしにとっていつまでも大切で重要な場所であることは変わらない。どこにいてもそのことを忘れないで生きていく。いつでも立ち寄っていい場所。魂が安らぐこの場所に時々戻りながらわたしはわたしの道を生きていく。


この記事が参加している募集

#今こんな気分

75,633件

#今日の振り返り

24,124件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?