見出し画像

日記 2024.8.6(火) あなたの伴走者になる。

5時前に目が覚めた。朝の調子があまりよくない日が続いている。暑さが続いているのと、生理が近いのもあると思う。
今朝もぼーっとしたまま朝の準備をやっていく。7分つきのお米に玄米と小豆を混ぜてお塩を入れて炊いていく。できるだけリラックスできるような服を着る。焦るわたしを落ち着かせるための工夫を丁寧にやっていく。

8時15分、黙祷をする。79年前の今日広島に原爆が落とされた。いつの頃からかわたしは西の方角に向かって黙祷をするようになった。静かに一分間目を閉じ、二度と同じ過ちは繰り返さない、わたしにできる平和の方法を毎年考える。

梅の土用干し第二段は4日目の朝を迎えた。今日は朝から曇りでどんよりとした空気が漂っている。もしかすると雨になるかもしれない。良い具合に梅の表面は乾いてきているし今朝で土用干しは終わりにしよう。第二段の梅干したちは梅酢に戻したまま漬けることにして、からっと乾いた梅干したちをそれぞれの梅酢に戻していく。梅酢にくぐらせただけで熟成させる梅干し、梅酢の中に漬けて熟成させる梅干し。色々と実験してみる。どれが好みか、お父さんとお母さんと食べ比べしてみたい。それから梅干し大好きの弟にも分けてあげよう。
わたしの初めての梅仕事がついに終わってしまった。6月から始めた楽しい梅のお手伝い。ずっと気にかけていた梅のことをもう気にしなくてよくなってしまった。空っぽになった干し網の中をのぞくとなんだかさみしい。工程数は多いし自分にはできないかもと思っていた梅仕事だったけれど梅を買って手を動かしていくうちにそんなことはいつのまにか忘れ、わくわく梅に触っていた。梅の熟れ具合、塩の量、赤紫蘇のこと、天日干しの加減。何にも知らなかったけれど、ひとつひとつ調べてみたり感覚を頼りにしながら自分でやってみる。自分で試すと梅のことが本当によく分かってくる。梅仕事は自分で試すことの喜びをわたしに教えてくれる。梅干しづくりに失敗ってそんなにないのかもしれない。一年生のわたしもしっかり受け止めてくれる梅の懐の深さ。瓶の中に戻った梅干したちが、あとは任せてよ時間をかけてゆっくりと必ず美味しくなるから、と言ってくれた。

さて、生理はやってきた。やってくると途端に調子が良くなってくる気がする。ほっとするというのかなんなのか。不安がひとつ減ったようなかんじがある。今日は席替えがあったのだけれど、新しい席、初めてしゃべる方と楽しくおしゃべりできた。今回の席の周りはわたしを含めて年齢層高めで面白い。

お父さんからメッセージ。退院してから調子がなかなか戻らず、また病院に行ったらしい。もしかしたら入院するかもとのこと。入院したがるお父さんの心はいま、変化しはじめている最中なのだと感じる。悩んでいるのはわるいことじゃない、わたしはそう思う。さみしさに気づいてでもどうしていいか分からないのかもしれない。お父さんは自分自身と向き合うということが本当に初めてなのかもしれない。お父さん自身が自分でさみしさに気づいてケアする方法を試していく、これしかないと思うのだが、おんなじ経験をしてきたわたしは一緒に伴走することはできる。焦らずゆっくりやっていこう。ずっとそばにいるよ。

帰り道、お父さんに電話した。入院することになったと話を聞きながらわたしは元気いっぱいで話しかける。お父さんはよろよろした声だったけれど、ひとつずつやることをやっているようだった。少し焦っているような感じがあったので、ゆっくりと、ひとつひとつ対処していけるように肩をさすりながら話しかける。想像でもちゃんとやる。背中をさする。さすりながら声をかける。電話で話すと本当にお父さんのことがよく分かる。お父さんの不安、さみしさが声になってわたしに届いてくる。電話を切る前、元気な声が聞けてよかった、とお父さんは言ってくれた。

ぼーっと考え事をしながら家に帰ってきた。今日もなんとなくスーパーに寄ったりする気にはならなかった。家の近くのコンビニでお水とお菓子を買う。夕飯も出来合いのパスタを買って食べた。明日はスーパーへ寄って帰ろう。

わたしも不安なのだろう、わざと明るい声を出して自分に聞かせ、自分を励まそうとしているのが分かる。ちょっとした出来事に笑おうとしてみたり、クマたちに甘えてみたり。不安をどうにかしようとあれこれ試している。そんな自分の背中をさすりながら大丈夫、大丈夫とわたしにも声をかけ続ける。自分の小さな変化も見落とさないこと、しっかりしなくていいから、ちゃんと小さな変化に気づいて対処していけることが大事。

お風呂に入ってすこし気分も回復した。夜は気持ちのいい布ナプキンを使っているから生理の時でもすごく快適だ。やっぱり心地よい素材が肌にあたるのがいい。いつも身につける生地のこと、もっと深く考えてみたいと思った。

われわれみんなが平和を手に入れるため、そのためにわたしは何ができるだろうとずっと考えている。不安や悩み、うまくいかない日も確かにあるけれど、わたしはいま、誰かのせいにして毎日を生きてはいない。誰かのせいにすると自分もつらいと知っているから。その上で自分の喜ぶことに着目しそれを選んで生きている。いつだって楽しい場所、心地よいところにいたい。やさしさを分け合い喜びあって生きていきたい。

自分自身をほめること、やさしさを分け合うこと、あなたのそばで伴走者でいること、わたしがいま実践していること、実践し続けたいと思うこと、これらすべては平和のためにしていることでもあるのではないか。
わたし自身の心の中をやさしさでいっぱいに満たすこと。それができるようになったらわたしの中のやさしさを目の前にいる人と分け合っていくこと。平和はわたしの中にある。一歩ずつ確実に、この平和を広げていきたい。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?