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角田光代さん「愛がなんだ」の考察&感想ー蛙化現象と今を生きること

こんにちは、桃生ににこです。今日は角田光代さんの「愛がなんだ」の考察と感想です。
Kindle Unlimitedになっているので、入っている人は無料で読めます!

一部、文章の引用をしますが、ネタバレはしてないと思います。


直木賞作家が描く、<全力疾走>片思い小説!
OLのテルコはマモちゃんにベタ惚れだ。彼から電話があれば仕事中に長電話、デートとなれば即退社。全てがマモちゃん最優先で会社もクビ寸前。濃密な筆致で綴られる、全力疾走片思い小説。

Amazon 「愛がなんだ」商品ページより https://amzn.asia/d/gRl5Np4

読み終わって、改めてAmazonの紹介文を読んでみると「全力疾走片思い小説」と書かれていることに気が付いたんですが、このポップな語感から想像するよりもじっとりとした印象を私は受けました。
逆に私がもう少しライトに受け取った方がいいのかな?と思いつつ…

あらすじ

OLの山田テルコ、テルコの想い人マモちゃん、マモちゃんが新しく知り合ったすみれさん、テルコの親友で実家暮らしの葉子、葉子を想うナカハラが主な登場人物です。

この中の何人かが恋をしているのだけど、それが思うようには噛み合わないそれぞれの恋の行方は!?

感想・考察と気になった文章

今の日々に満足していない。寂しい。自分の全てを受け止めて愛してくれる誰かがそばにいてくれたら良いな、と思うのに、いざ誰かが正面から自分を見据えてくると、顔を背けたくなる、逃げたくなる。嫌いな人ではないし、楽しい時間も過ごせる相手なのに…蛙化現象ってこんな感じで、この物語には蛙化現象の人たちがたくさんいます。

”全力疾走片想い小説”というくらいなので、主人公のテルコはマモちゃんのことを猛烈に追いかけるわけですが…マモちゃん全然カッコ良くないんですよ。マモちゃん自身もカッコいいかカッコ悪いかで二分するとしたら自分は間違いなくカッコ悪い方に分類されるって言ってるくらい。ただ、かっこいいに分類されることがあるかもしれないって希望は持ってる人ですね。本来はそっちにいきたかったけど、そこを全否定して今「カッコ悪い」側にいる人。

読んでいる最中は、テルコはなんでマモちゃんにそこまで尽くすのか!?そんなに良い男なのか!?違うだろう!?ってイライラしました。

読み終わってしばらくして「これは蛙化現象の人たちのお話だなぁ」と思って、私も若い頃は蛙化現象が凄かったな…と思い返すと、20代前半の頃に好きだった人にはマモちゃんの面影を見ることができるかもしれない。あの頃はキラキラし過ぎたモテ男くんや良いご家庭で育ったんだろうな…って異性とは恋ができないと無意識に思ってた。

マモちゃんと会って、それまで単一色だった私の世界はきれいに二分した。「好きである」と、「どうでもいい」とに。そうしてみると、仕事も、女の子たちも、私自身の評価と言うのも、どうでも良いほうに分類された。そうしたくてしたわけではない。「好きである」ものを優先しようとすると、他の事は自動的に「好きなものより好きではない」に変換され、つまりはどうでもよくなってしまうのだった。

愛がなんだ 角田光代

恋の「これが最優先事項です」「他のものよりも優先すべきです」感ってすごいよね。

気がつくと、私は浮気発見に命をかけて日々を過ごしていた。アルバイトの合間、眠る時間を削って、矢田耕介の手帳を調べクロゼット調べ、机を調べバッグを調べ、天袋を調べ押し入れを調べ、PHSの履歴とアドレスを調べ、そして女の影がうっすら見えてくると、不思議なことに安堵した。

愛がなんだ 角田光代

片思いってすごくやりがいがある。自分磨きも、相手を追うことも。テルコの「好きな人ができると他の事はどうでもよくなってしまう」という発言。これは片想い以外のことはしなくても良いよね?ってことでもある。

上の引用の矢田耕介はテルコの昔の恋人です。この彼は相当な浮気性で何度も浮気をしていたんだけど、その彼の新しい浮気を徹底的に調べて、最後に「浮気している」って証拠が出たのに安堵する気持ち。これは「片想いのやりがい」があるから感じられる。

片思いが成就すると恋人同士になって、二人の仲を育んでいく。何でもない日々がスタートする。育むことは地味。成果もわかりにくい。そして問題が発生しないとそれに振り回されることがないから、今まで「余裕がないから対応する必要がない」と思っていた、友人関係、仕事をちゃんとやらないといけなくなる。

第三者から見ると「なんでそんな人を追うのだ!?」って思えるけど、手に入らない人は永遠に追い続けられるから、やりがいを感じる片想いの相手としてはすごく良いよね。マモちゃんの場合は追い続けられてくれるし。

マモちゃんは度々「33歳になったら今の会社を辞めて○○になってやる」と発言していて、○○はその時によって変わって、本当に○○になるつもりはない。「今の自分は本当の自分じゃない、本当の自分は別にいる」という気持ちからの発言じゃないかな。付き合うこと=育むこと、今の自分を直視することだから、テルコと必要以上に深い関係になることは避けたいんだよね。

一時期はテルコといい感じだったのに、結局深くならなかったのは、蛙化現象を起こしてしまったからだと思います。今の自分を誰かの好意を受け入れることで肯定してしまうと、違う自分にはもうなれないような気持ちになるんだよね、きっと。

小説の中では登場人物がお酒を飲むシーンがたくさん出てきます。お酒を飲む=現実逃避・自己逃避を表現しているのかな?と。小説が2007年のものだから時代的なものもあるのかな?あの時代は私も含めやたらと飲みに行っていたような?最近はコロナもあり、最近の若い子の事情はわかりませんが、あの頃と比較すると「酒だ、酒だ」って言ってないように感じる。どうなんでしょう?私は量がいけるタイプではないので(特に焼酎や日本酒は)、飲みっぷりすごいなーと思いました。

最後に「全力疾走片想い小説」について改めて考えていくと、物語を通して、テルコの片想いがどんどんプロ化してきて…プロ彼女ではなく、プロ片想い!?見る人によっては悲惨な日々だなーってなりかねないけど、彼女自身からは悲壮感があまりない。それがプロっぽい。なので、じっとりとした小説ではなく爽快感のある小説、って思う人もいるかもしれません。


2019年春に映画化

「愛がなんだ」は2019年に映画化されています。小説は2007年に発表されたもので、ケータイ周りの表現が昔だなぁと感じるのですが、映画ではどうなってるんでしょうか?現代版なのかな?

冒頭の4分間が公開されています。ここだけでもテルコがマモちゃんに尽くしすぎる様子がよくわかります。
似たようなことしたことあるなーって人も多いのでは?私は掃除も料理も20代の頃は進んでやるような子ではなかったけど(実家暮らしだったので…)
家にいながら「あ、今仕事終わって外だからすぐ行けるよー」って感じは「うん、そういうの、あるよね」ってなりました。

好きな人に振り回されちゃうなー、合わせ過ぎちゃうなーって人は読んでみると良いかも。「よし、とことん振り回されるぞ!」って思うか「私は手を引きます」って思うか。どっちもありなので、自分はどうだろう?ここで手を引くか?どうするか?って考えてみるのも良いかな。

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