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鬱と極端な結論
鬱になるとどうして「死」に近づくのか。
その過程と、その過程の省略と、その過程の固定。
まとめ
居なくなりたい→消えたい
この「消えたい」方法が「死」だけであると、社会的に1つしか答えを提示していないから。
鬱になるずっと初め
「死」や「自殺」や「殺人」と、自我を意識する前の小さい頃から、ニュースなり親なり学校なりで知っていた。
今の人間にとって「死」とは身近なものである。
これにより、人間が「消える方法」は「死」のみであると固定化されたのではないか。
鬱を感じる前
初めはただ、環境や他人や自分によって何かしら「嫌だな」と言う不快感と共に、その場所にただ「居たくない」と感じるのでは。
では、「居たくない」=「消えたい」となるまでに、は何が起きているのだろう。
自分がそこに存在してはいけないような違和感。
鬱は病気で、病みはただの精神の弱さ?
メンタル強い弱いって言葉自体嫌い、個人的には笑。
誰が壊して、誰が壊したつもりもなくて、誰が何か。
どっから手をつけようか迷います笑。
精神が何故あるかを考える。
精神とは
精神とは自分の頭の中。五感も通さない、通す必要もない、外ではないもの全て。
人は意識を外(環境)に向けるか、中(頭の中)に向けるかしかできない。
意識を中(頭の中)に向ける事が思考や想像。その思考や想像の傾向が精神。思考は言語で、想像は言語以外。言語は他人が居るから必要で、想像は他人が居ないから必要。
意識を外(環境)にしか向けていない人が、精神の強さと弱さを語る。中(頭の中)に向けている人ならば、それは考える考えないかの二択でありそこに強弱は無いと知っているから。
おわり
病み鬱のループ思考は、頭の中だけでずっと考えているから。少しだけ目の前の環境に移すと楽かも。移したくないなら、移せる環境に引っ越す。
引っ越しってもう少し楽になれば良いのに、物減らそ笑。