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義兄の葬儀

 先週、監視人殿の姉上夫、つまり義兄が亡くなった。姉上夫妻の次女から電話があり、父が亡くなりましたとのこと。一月ほど前に大動脈破裂が勃発、緊急に手術してなんとか一命をとりとめ、少しずつ回復していると聞いていたのだが、結局持たなかった。最後は眠るように穏やかに亡くなったとか。
 
 亡くなった義兄は87歳、大学の哲学科を出て〇通に入社、その道で活躍した・・・・らしい。長く〇〇ランドに住んでいたが、数年前に吉祥寺の長女一家が住んでいる近くにマンションを購入して住んでいる。姉上殿は80歳、最近アルツ気味で義兄が心配しての措置だったらしい。

 7年ほど前に監視人殿の兄上が岡谷で法要をした際、義兄夫妻、兄上夫妻、当家の6人で会食したのが義兄の顔を見た最後だった。全員元気に会話が弾み、義兄は私の姫路での仕事の話しに興味深そうに聞いてくれたので、ついつい調子に乗って専門的な話をし過ぎたことを思い出す。
 
 数日前に姉上は近所のグループホームの一室が空いたので、そこにいるのだが、本人が自分の状況をどう理解しているのかは不明。義兄は亡くなる前に姉がそのホームに入ることに賛成していた。
 
 葬儀は会葬者20人程度の家族葬、我々が葬儀場に着くと我長男、次男の二人が受付をしていた。義兄の長女(姪)が丁寧に、亡くなるまでの事情、棺の周りに飾られた過去の写真を説明してくれる。なかには当家の全員が一緒に写っている写真もあった。最後に棺の窓を開けてお顔を拝顔して手を合わせる。
 
 やがて葬儀が始まり、全員がご焼香し、続けて初七日の法要が営まれ、又も全員がご焼香、儀式が終わると、次は出棺。棺の蓋を開け、全員が花を入れてご遺体を飾り立てる。思い入れのあるもの、写真、旅立ち時定例のもの、を入れて蓋を閉じて、出棺を見送った。全員がバスに乗り、火葬場に向かう。
 
 火葬場では、棺が炉に入るのを見送り、火葬が終わるまで休息室で待つ。当方はバスへの乗り降りに時間がかかり、補助のキャリーバックを引っ張って歩くが、足の運びが遅い。監視人殿の兄上とその奥様も杖を持って歩き不安定な感じだ。我々の代では監視人殿だけがまともに歩く。小一時間ほどで、再び炉の前に整列して全員で遺骨を拾い、定例の壺に収めて儀式は終了。
 
 全員で葬儀場に戻り、会食して歓談、我が息子達と二人の姪はほぼ同年代で、話しが合うようで、お互いにスマホで子供の写真などを見せ合っていた。適当なところで御開きになり、退出した。
 
 我々は二人の息子と最寄り駅のカフェでコーヒーを飲みながら、最近出来上がった私の公正証書遺言書案を説明した。身近な人の葬儀のあとだからリアリティーがあり、二人とも真面目に聞いていた。

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