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あちらの世界

 2007年7月の日記です。
 
 文芸春秋の特集号で、息子に22歳で先立たれた男の書いた文を読んだので、それについて。

 勿論、男の悲しみは深く、息子の死を現実の物として受け入れるまで、5年かかったとか。 人間は、いつか記憶が薄れていくわけで、そうでないと生きていけないこともあるのだ。

 それから、時が経ち、今度は、その男の妹が、病気でなくなるのだが、今わの際に、向こうでYちゃん(亡くなった息子)に会ったら、なんと伝えようかと、男に聞くと、男は、「お父さんは元気だから安心してくれ、お前は・・・」
その後は言葉にならず、部屋からでてしまったとか。

 妹はクリスチャンだそうで、この世は一時の仮の姿、死ねば、本来のあちらの世界に行くと信じているのだが、それにしても、死んだ息子にお前は元気かとは、聞けないし、直ぐにでも会いたいとは言えないのだろう。
 
 
 追:この世の全ては、人類も含めて150億年前に無から生じたのであり、
   自分が死ねば無に帰するだけ。無の世界は時間も空間も無い、
   勿論、あっちの世界も無い、と私は考えている。

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