仏壇の写真
お盆だから本来はお墓参りに行くべきなのだろうが、なにせこの暑さ、-多摩霊園まではとても行く気になれない。ご先祖様には失礼ながら、仏壇の扉を開けて両親の写真にお茶を差し上げて了解(?)してもらった。
両親は、広島の被爆者だが、幸い最期まで影響はなく、天寿を全うした。生前、まだ元気だった時に被爆の体験を詳しく聞いたことがある。
父は軍需産業の○○重工に勤務していたので、徴兵を免れて広島の工場に勤務し、母と幼い姉と3人で広島市街地に住んでいた。原爆当日も出勤しており、市内が大変らしいとのことで、手分けして社員の救助に向かった。
市内に入ると、建物は殆ど原型を止めず、あっちこっちで人が転がっている。社員宅に向かって歩く途中、道端で女の子が座りこんで泣いている。見ると頭が割れて出血しているので、手ぬぐいを巻いて止血して、帰りに助けるから待ってくれと言って、先に向かった。しかし、戻って来た時には、女の子は既に亡くなっていた。
母は、その時、外に出ていて、瞬間、背中が熱かったとか、坂の上からを見ると、大勢の半死状態の人ばかり、やがて空が真っ黒になり、雨が降って来てずぶ濡れになった。幸い、家は窓が吹き飛ばされただけですみ、幼い姉も無事だった。
2人から原爆の話を聞いたのはこの時が初めて、私が50歳頃だったから、戦後50年あまりのこと。一緒に話しを聞いていた監視人殿は、両親が被爆者だったことは結婚する前に聞いておきたかったとのこと。私は被爆者2世を認定されているが、それが健康に影響しているとは思えないし、勿論2人の息子には何の影響もない。
今日は8月15日、珍しく長男が会社の帰りにわが家によるそうだ。仏壇の写真に手を合わせて南無阿弥陀仏と、のたまう・・・・らしい。
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