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大径管工場の建設 6.設計打ち合わせ

 主圧延機の設計製作の発注先は、正確にはアメリカのE社であり、E社が圧延機本体の基本構想図を作成し、Ⅰ社がそれをもとに付帯設備も含めて詳細を設計して製作する。発注が決まって直ちに、Ⅰ社からの提案で、最初の構想設計の打ち合わせと称して、当社の数人がアメリカのE社に出張することになった。勿論、Ⅰ社の営業と設計の課長が随行する。わが社のメンバーは山上課長が決めたようで、山上課長、稲山係長、工場操業部門から上田部長と沼山係長の4人と決まり、私は員数外、数のうちに入っていないらしい。操業技術の沼山係長は名門国立K大卒、私より4年先輩だから稲山係長と同期、英語が堪能でいわゆるバイリンガル、シームレスパイプの操業部門では、文句なしに誰もがエースと認めている(らしい)。
 
 余談だが、操業部門の沼山係長はこの建設工事を通じてずっと私を観察していたようで、5年後に次のシームレスパイプ工場新設時に計画策定当初から私を引き抜き、更に工事完成後、私を設備部門からシームレス操業部門にコンバートした。結果、私は設備と操業の両部門を経験して技術の幅が広がり、社内の人脈も飛躍的に増えて、その後の会社人生に大きな影響をもたらした。沼山係長はその張本人(恩人?)だったのである。
 
 ともあれ、全体工期に余裕はなく、出張の帰りを待つわけにはいかない。E社からの構想図は既に提示されていたので、アメリカ出張とは関係なく、私とⅠ社の設計陣で設計打ち合わせを初めた。10日程度の出張からメンバーが帰国したが、アメリカでの打ち合わせに関しての説明は何もない。不思議に思っていたが、後から知った話では、アメリカ到着初日の歓迎会で、稲山係長が飲み過ぎたらしく、その晩、ホテルのバスルームで転倒し、目の上を数針縫うかなりな怪我をしたらしい。帰国当初は眼鏡のフチで隠していたが、よく見ると確かにまだかなり腫れている。結局まともな設備打ち合わせはされなかったらしい。
 
 ともかく時間を無駄には出来ず、余計なこと考えずに設計打ち合わせを進める。Ⅰ社からは数日おきに承認図が多量に届けられる。図面を丁寧に見て全てを理解し、こちらの要望を書き込んで私の日付印を押して返送する。私の要望は細部に及び、例えば、ある部分の溶接構造を鋳造構造に変える、重要なガイドの軸径を150ミリから220ミリにアップする、厳しい環境にさらされる軸の材質を指定するなど、こまごまと承認図に手書きした。この段階で決まる設備の詳細が、稼働後の生産効率、メンテナンス性、設備の寿命を左右するので、細心の注意を払いつつ対応したが、何しろ初めての経験、不安の入り混じる日々だった。
 
 そのうち、Ⅰ社の設計責任者、木山課長が、私がⅠ社の横浜工場に出向き、各設備の設計担当者と直接打ち合わせをしてもらえないかと申し出があり、私が出向くことになった。連日のようにⅠ社で朝から晩まで設計打ち合わせをする。各設備の設計担当者が入れ替わり立ち代わり出てくるから、その場でこうしてくれ、ああしてくれと即決する。Ⅰ社の各設計者も辛抱強く応じてくれて、打ち合わせを重ねるうちに私の基本的な考え方を理解してくれるようになった。
 
 話しは脱線するが、Ⅰ社の横浜工場は元々が造船所で、主として海外からの顧客用に専用のレストランがある。設計打ち合わせの都度、先方の営業とそこで食事をした。レベルはそれなりだったが、食後のデザートにバナナが一本、そのまま出てきて、先方は慣れた手つきでナイフとフォークで器用に皮を剥いて食べる。こっちも意地を張って、ナイフとフォークで頑張ったのを今でも覚えている。

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