そこそこ終わっている人間とWebライターに向いている人

世の中には、自分に向いているかどうか、を気にする人がたくさんいます。
「向いていない」
なんていうものは、何かを辞めたり諦めたりするときの都合のいい言葉でしかないと思っている私にとっては、驚くべきことです。私は生きるということにあまり向いていないと日々ひしひしと感じていますので、その中で適性を探したりはしません。そこそこ終わっていると、全部に向いていないと、思っている方が気楽なのでしょう。


それでも、Webライターに関する記事の中に向いている人の記述があると気になってしまいます。自分の適性を客観的に肯定したいわけではありません。大事なことが書かれていない気がするからです。
もしも私が、親しい人たちに、
「Webライターに必要なことって何?」
と聞かれたら、私はこう答えると思います。
「平気で嘘をつけることじゃないかな」
と。
多分嘘をつくことに抵抗のある人は、Webライター生活序盤で苦しんで辞めていくのではないでしょうか。テーマの中には、知らないことや、経験してないことや、考えてもいないことが、往々にしてあるものですからね。そして、着地点がしっかりと、示されているわけですからね。素晴らしいとか、恋人が出来たとか、生きていてよかっただとか。平気で嘘をつけること、これがないと、多分長くはやっていけません。


まぁ、勿論私だって、Webライターに向いている人についての記事を任されたとしたら、平気で嘘をつけることだなんて絶対に書かないんですけれど。えぇ、えぇ。本当のことなんて書きませんよ。当然じゃあないですか。
私の人間性が悪戯に疑われてしまいそうなので、本日はこの辺で終了とさせていただきます。

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