マイナーな偉人を求めて4
これは愛知県の岡崎城。徳川家康が生まれた場所としても知られている。
戦国時代の英雄、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康のことは、日本に住んでいる方ならほとんどが知っているだろう。
小学校から高校まで何度も学校でその名と功績を教えられ、彼らゆかりの地には看板や石碑が建てられている。
そんな3人の英雄は、いずれも愛知県出身だ。
ものづくりだけで十分生きていけるせいか歴史アピールをあまりしない愛知県だが、彼らを始めとした多くの偉人が存在していた。
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康は誰もが知っており日本の歴史にも影響を残したが、中には愛知県のごく限られた範囲でしか知られず、日本の歴史にほぼ影響を与えてはいない偉人も存在する。
今までも3回そのようなマイナー偉人を探してきたが、今回は愛知県にしぼって3名のマイナー偉人を紹介していこう。
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糟谷磯丸
彼は江戸時代後期の歌人である。愛知県の渥美半島(県に2つある大きな半島の右の方)の先端に昔あった伊良湖村の出身だ。
貧しい漁師の長男として生まれ、30代で父を亡くし、母も病気になり、学もなく読み書きができなかった。
だが、母のために伊良湖神社へ毎日お参りしていくうちに、参拝者の詠む和歌にひかれ、35歳で歌人となった。85歳で亡くなるまでに数万の歌を残したとされる。
貧しく文章の読み書きもできない漁師出身で、35歳になってようやく歌人になるという異色の経歴の持ち主だ。
彼は伊良湖神社敷地内の社に祀られているほか、渥美半島の先端に銅像が建てられている。
足助重範
彼は鎌倉時代末期の武将である。氏族のひとつ、足助氏の7代目惣領だ(惣領は、家名を継いだ人くらいの認識で大丈夫です)。
父である貞親が後醍醐天皇の討伐に加わるも敗れて、跡を継いだ重範は、1331年の元弘の変で後醍醐天皇の味方として参戦した。弓の名手として名高く、戦いでも弓で敵将を討ち取るなど活躍したが、捕らえられて処刑された。
彼が亡くなったあと足助氏は力を弱めていき、全国に散らばっていったり、一部は室町幕府に降っていったという。
日本史全体で見るとその他大勢のような存在かもしれないが、現代でも愛知県の足助にある足助神社では神として祀られており、彼の死により足助氏がバラバラになってしまったことを考えると、かなりのカリスマ性を感じる人物である。
三栄和尚
1427年、足助氏の居館跡には曹洞宗の香積寺が建てられた。三栄和尚は、そんな香積寺の和尚のひとりだ。
1634年に辺り一面にカエデや杉を植え、現代の足助にある香嵐渓が紅葉の名所になるきっかけを作った人物である。
彼の植樹により、紅葉シーズンの香嵐渓は毎年大渋滞が発生するほどの人がつめかけるようになった。範囲は極めてせまいが、未来に与えた影響はとても大きい。
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今回は以上である。
3人とも「日本史」全体の規模で見るとその他大勢のような存在ではあるが、神として祀られたり、地元では強い影響を残している。
このような、現地にいかないと知ることの難しい偉人に出会えるのが旅行の面白味のひつといえるだろう。
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