見出し画像

インターネットも、スマホもなしのバックパッカー旅行

え~、インターネットも、スマホもないって、いつの話よ~!?という感じですが、40年前の話です。

私が大学3年生の春休みに、2か月程、シベリア鉄道でソ連(現在のロシア)を横断、その後ポーランド、チェコスロバキア(現在のチェコとスロバキア)、ハンガリーなどの東欧を旅行して、ギリシャから西欧へというバックパッカー旅行をした。

理由は2つ。その頃流行っていた大瀧詠一の「さらばシベリア鉄道」という歌のメロディーと歌詞がとっても好きで、そこで歌われている凍てついた広大なシベリアの大地を走り抜ける列車や、大瀧詠一の歌のイメージにあるソ連を見てみたかった。

もうひとつは、五木寛之の「さらばモスクワ愚連隊」や「蒼ざめた馬を見よ」など、ソ連の窮屈な社会主義体制下の中、西側の自由な世界に憧れる若者たちの夢に向かって頑張る姿やそれでもつぶれてしまうもがきなどを、西側の音楽ジャズなどを通して描いたやるせないお話です。

私が、シベリア鉄道でソ連を横断した1980年代はまだペレストロイカの前で東西冷戦の真っ最中。世界は西側(資本主義国)と東側(社会主義国)と2つにわかれていて、ソ連はその社会主義国家の中でも圧倒的な威圧感がありました。「鉄のカーテン」と呼ばれたベールに包まれたソ連、東欧などは、西側の住んでいる私達にとってはミステリアスは国でした。

そんな時代背景の時に読んだ五木寛之の本や、大瀧詠一の「さらばシベリア鉄道」の歌の影響から決めた旅行でした。なんだか怖そうだけど、それでも、凍てついたシベリアの大地を走り抜ける列車や、大瀧詠一の歌のイメージにあるソ連へ行ってみたかった。

とソ連の話が長くなりましたが、その頃、まだインターネットもスマホもない時代。インタネットがないので、旅行の情報は本屋さんで売っているガイドブックや大使館にある観光情報のみ。往々にして、それらの情報は古い情報が多かったりするので、基本的には現地に行ってから、すぐその街の観光案内所へ行って、観光パンフレットと地図をもらう。個人で旅行をする場合、それが、その頃の旅行の方法だった。

ただ、現地でももらった観光パンフレットや地図も、印刷物なので、先月あったレストランが別の場所に引越ししていたりで間違いもあり、最終的には道端で誰かに聞く...それで目的地まで行けたらラッキー。もらった情報が間違っていたり、「すぐ近く…」なんて言われて「すぐ」と思ったら30分程も歩いたりで、現地で言う「すぐ近く」と日本で考える「すぐ近く」が違ってて思いっきり迷ったりすることもあった。もちろん、親切な方がいたりで、一緒にそこまで連れて行ってくれたり。そこからドラマが始まったり。

スマホがあったら、1分もかからずに検索出来て、その場所までもスマホの情報に従っていけば、ほぼ問題なし。なんとも簡単になったものだ。

といっても、スマホもなかった時代。スマホがないので、友人や家族に連絡をしたかったら、電報をうったり、絵ハガキや手紙を書く。話がしたい場合は、固定電話や公衆電話から日本へ国際電話をかけるという方法のみだった。まだ、国際電話じたいが一般的なものではなかったので電話代も高い。お金のない学生はそう簡単に海外から国際電話をすることができない。このまま、私がここで迷子になっても、日本にいる家族も友人も、しばらくは私に何が起こったかもわからないんだろうなぁ… 私の帰りが遅いな~と思っても、探す術もないだろうし… 気が遠くなりそうなくらい海外が遠かった。

しかし、先月、1人でネパールに行ってた時はとても日本が近かった。

カトマンズからローカルバスを乗り継いで標高xxmのナガルコットへ行った。そこのビューポイントから見る日の出やヒマラヤの山々が有名で、早起きをしてホテル近くのビューポイントまで行った。日の出はだいたい6時半頃。日の出で泣けた話は、こちら→「ヒマラヤの峰から登る朝日 - ナガルコット)」

日本は午前10時前。「寒い~」と妹にチャットしたり、日の出の後に見えてきたヒマラヤの山々の写真を撮って、友人にラインんしたり。ちょっとご近所にいるかのように、メッセージのやり取り。なんだか、日本がとっても近い。

ナガルコットでとっても近い日本を感じながら、海外がとっても遠かった頃の海外を思い出した。スマホと一緒に生活する今、もうあの頃の「気が遠くなるような海外の遠さ」を感じることはできない。しかし、スマホやインターネットの進化とともにもっと簡単に海外へ行けるようになった私達はその効率が良くなった分、私達はそこで何を感じることができるのだろう。

カトマンズに滞在中住んでいた家に洗濯機がなかった。なので、洗濯するのに時間がかかった。家の屋上に行って、洗濯物と洗剤をタライに入れてしばし時間をおいてから、手洗いをしていた。何も考えずにぼぉ~と手で洋服を洗う。そして、物干しに干す。天気の良い日はずっと遠くに山々が見えた。一つずつ洋服を干す度に、空を見上げ、ずっと遠くの山々をみる。この家に洗濯機があったら、洗濯機が洗濯をしてくれている時間、私は何をしていただろう。(ブログ:ネパール滞在

スマホやインターネットがなかった時代は、スマホとともに育った人達にとって不便でしかなかったりするのかな!?

なかった時代とスマホとともに生きる今を知っている人達にとっては、この不便と便利をどう感じることができるのだろう。


🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩
コーチングセッション / 海外体験サポートセッション希望の方はこちら
🌺2024年キャンペーン中🌺
今回、コーチング『ニーナの部屋』@ゆるゆるボーダレスに歩くのWebページを開設記念にキャンペーン開催中。詳しくはこちらをご覧くださいませ。
🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩🟩

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?