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アメリカで最期を迎えた日本人のおばあちゃん。

以前書いた、前に住んでいた家のお向かいさんだったおばあちゃんが先日息をひきとった。今年7月に90歳の誕生日を迎えた季江さん。

せっかく日本に帰ったのに半年ももたずに、アメリカに戻ってきた。友達夫婦のところで数ヶ月お世話になったあとに、老人施設に入所した。一人暮らしになった彼女に、私はふと思いついて絵葉書を送り始めた。(上の写真)

私は若い頃から美術館に行ったら最後に気に入った絵の絵葉書を買うとか、旅行先で写真をとると同時に絵葉書を買う趣味があった。当時はもったいなくてそれらの絵葉書を誰かに送るなんてことは考えられなかったのだけど、そのうち電子メールなるものが登場して、だんだん手紙を書くなんて習慣はなくなっていったから、集めた絵葉書はそのまま手元に残っていた。

私の引っ越しが決まり荷物を整理していたら、そんな絵葉書がごまんとでてきた。ムスコに送る荷物にカード代わりにいれたりしたけど、その程度ではさばく数にも限界がある。そんな頃に季江さんの入所が決まったので、去年8月に私が引っ越してから数週間に一度のペースでハガキを出しはじめた。日本の風景はお花畑を中心に選び、アメリカ各地や世界各国の絵葉書をせっせと選んで、私の日常を書いた。長電話になるよりも、時間のあるときに絵葉書を一方的に書く方が楽だったし、私が彼女のことを時折考えてるということがより伝わるような気がしていた。

10月に住んでいた家が売れたので、近いうちに会いにいきますねー、と連絡した。

が、ムスメの大学申請作業が始まり、感謝祭とクリスマスが過ぎ、年が明けてからムスコがボストンに帰るまで、私に車で遠出する余裕はなく、お鮨を take out して彼女に会いに行ったのは、1月半ば過ぎのこと。

暖冬で積雪もなく、冬の快晴なある日に一時間ほどのドライブをして会いに行った。清潔そうな施設で、彼女の部屋は一人で暮らすには十分な広さがあり、少し足腰が弱っている印象はあったけれど、頭はまだまだしっかりしていたから、同じことを何度も言い繰り返すなどということもなく、もちろん彼女も面識のあった Ex.のその後、みたいな噂話もして、彼女をさんざん笑わせた。

遠いのにありがとう、という彼女に、また来ますよードライブ気持ちよかったから、と答えた気持ちに嘘はなかった。

それからも同じ頻度で絵葉書を書いた。5月頃にもう一度会いに行こうとして、体の調子がいい朝にお電話くれたらその日に行きますから遠慮なくって書いたのに、彼女から電話がくることはないまま。どうも携帯の使い方がよくわからないようで、私がかけても電話にでることはなかった。

春から夏にかけて、合格した大学の見学に飛び回り、大学が決まってその入学準備があった。8月半ばにムスメを入寮させて、さてそろそろ会いに行こうかなと思っていた矢先の、訃報だった。

夫に先立たれ子供のいない季江さんの死後の処理は、彼女の面倒をみた友人が遺書で指定されていて、その彼女が私に知らせてくれた。

「毎日お迎えを待ってるんです」と言っていた季江さん。

生きる気力を失い、だんだん動けなくなって、携帯が使えないのならと普通の電話も設置したのだけれど、そこへも歩いていけなくなったのだそうだ。
心臓の機能が低下して眠るように亡くなったというから、よかったなぁと思う。

一ヶ月くらいして、遺品の整理と日本語の書類を見てほしいからと、その彼女からまた連絡があり、私はまた一時間ほど運転して会いにいった。

もらってきた遺品のひとつ。ずーっともってた料理本なんてきっととても美味しいに決まってる。

おそらく70代だろうと思われる彼女と、涼しくて肌寒いほどのサンルームで彼女が用意したツナサラダとクラッカーをつまみながら、思い出話をした。

Atkins dietを始めて1年で23kgも減量したそうで。そのまま10年。
半袖を着ていた私に「寒くない?」と声をかけてくれるほど気のつく人。

3時間ほど楽しいおしゃべりをしておいとました。
季江さんもこの彼女も、美しく賢く年をとった人だ。

I wish I could age like you and Kie. Both of your minds are so sharp.

と別れ際に伝えると、あたたかく抱きしめてくれた。

そして。出した絵葉書が戻ってきた。
メールと違って手紙は出してしまったら何を書いたのかを忘れてしまう。昔の人は覚えていられたんだろうか。

今の時代に手紙を書くなら、特定の質問への返事を求めるような内容じゃない方がいい。じつはムスメとも文通を始めた。毎日やりとりするテキストとは別のストーリーラインのコミュニケーションにしようと言ってある。

ゆっくり流れる時の中での会話。
返事を求めない会話。
そばにいない相手の表情を想像して、書く手紙。

買いためた絵葉書はまだまだ使いきれないほどある。



ただただ好きで書いています。書いてお金をもらうようになったら、純粋に好きで書くのとは違ってくるのでしょうか。