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娘に対して、母である私が思うこと。

私は娘であると同時に母でもある。私とムスコの関係と、ムスメとの関係はちょっと違う。なぜかどうもなにかが違うということは、母としての体感でわかっていて、母親同士でもよくそういう話になる。「息子に対して、母である私が思うこと。」というお題でも書けそうだが、今回はムスメの話。

ムスメは今年19歳。秋から大学二年生になる。去年の秋から半年付き合ったEddy と別れて、またアプリに戻ったら Eddy と付き合う前にチャットしていた James がまだそこにいて「再会」し、初対面。それから 4ヶ月たった。

もう、メロメロ、である。姿形がなくなるまでに溶けまくっている。
なにせ彼は、見た目もろムスメのタイプ。
それだけじゃなくて、あの観察力鋭いムスメのすべての人格性格テストにパスしてしまった。

好みのタイプというだけじゃなくて、超いい男なのに高校時代に太っていたとかで全然注目を集めなかったらしく奢りがまるでない。ムスメが、こんな素敵な彼氏がいていいのかしら、私ってば、で、彼のほうも、こんなかわいい彼女がほんとに僕の彼女なんて信じられない、状態である。なによりだ。

私も、なんどかビデオチャットでしゃべった。
「あのさ、彼、超いい男だけど、超いい男にありがちな雰囲気がまるでなくて、ちょっとカワイイ感じだよね」
「そうなのよ!!!」

ムスメは、私が彼のことをどう思うかをすごく気にしている。が、私が気に入っても気に入らなくても、付き合うのは彼女だという理解が私と彼女の間にはちゃんとある。それでも私の意見が気になるというのは、そりゃそうだろう。

さて。私が日本に帰ってる間、ムスメはオハイオとここを行ったり来たりしていた。私の友人宅に泊めてもらって看護師向けのコンファレンスに参加して、ということもあったけれど、ようするに彼と離れていられなかっただけである。日本にいながら私は彼女の居場所をちゃんと把握しつつ、彼女が自分から言うまではツッコミはしなかった。


やり手のムスメだから、今年の夏に働き始めるために、去年暮れに大学近くの病院に PCNA (Patient Care Nursing Assistant) のポジションに応募していたのだが、60倍もの倍率だったそのポジションを 5月に見事獲得し、7月から働けることになった。なにせパートタイムで12時間シフトを週に2回だから、秋学期が始まる前に慣れておいたほうがいいだろうというのは、私も彼女も同意見だった。

大学一年生の授業の Clinicals は、4時間シフトを週に2回。
大学2年生からは6時間シフトになる。大学4年生は12時間シフトになるから、さすがに働けない、と言っている。

適切な判断だと思う。

働き始めて90日間経つと、大学の授業料が一部返済される。「職員」待遇で必要な各保険も適用されるが、保険料は自己負担。そして、卒業後のポジションも2年間は保証される。

ねぇ、(4つ年上の)兄ちゃんよりも先に就職決まったね。

と言ったら、大笑いした。

ムスメは、父親に借りを作りたくない。だから授業料もできれば自分で払いたいし、取ると決めている修士号は働きながらで、こちらも授業料免除を狙っている。

が。大学費用を払うのは親の義務だから、そのために働く必要はないと私は口酸っぱく言っている。看護師を目指す彼女にとっていい経験になるから私は喜んだだけで、授業料免除になるからではない。大学4年間は、そのときにしか経験できない友達との時間、そして看護師になる勉強が中心であるべきであり、働いてお金を稼ぐことじゃないと、何度も念押しした。勉強との両立が困難になり、寝不足になり、身体をこわすようなことがあってはならないとも言った。

ムスメはよーくそれをわかっている。

James がオハイオ住人なのもあって、私と二人でバハマ旅行したあと、ムスメは自分で選んだ Mazda CX5 に荷物をパンパンに積んで、嬉々としてオハイオに戻っていった。なによりだ。

冬休み前に、友達と揉めて旅行をキャンセルされ嫌がらせをされ、もう大学変わりたい、なんて半泣きになっていたのを、

「逃げて大学を変わっても、同じことが起こるだけ。だいたいアンタ達の世代はどこいっても一緒。米国一のその看護学校を卒業して初志貫徹して看護師になりなさい」

と、私は叱咤激励した。ムスメは泣く泣く大学に戻っていったが、新しい友達グループに誘われ、4月に私が会いにいったときは、みんなで彼女の誕生祝いをした。

そして。ムスメは James に出会った。

あの冬の日。イヤイヤ戻っていった彼女の姿を覚えているから、まだ夏休みは2ヶ月もあるのに、嬉々として彼のいるオハイオに帰っていくのを、母としてはさみしいじゃなくて、喜ぶべきだと思った。

ムスメは、ほぼ毎日電話してくる。買い物にいくと、その収穫を見せてくれる。病院で働いた翌日に、どんなことがあったかを報告してくる。何を食べているかを見せるために食事中に電話してくる。James の部屋から電話してくる(大抵 James はゲームをしている)。

荒れ狂った患者からうんこ投げつけられて目に入ったとか。
痛み止め中毒の患者がアノ手コノ手で24時間ひっきりなしに薬をせがむとか。
なぜかカテーテルを替えさせない患者がいて、どんなに衛生上よくないかを説明しても、頑として抵抗するとか。
「氷は3つ、クリームは大さじ1。まずクリームいれてからエスプレッソを2 shots」と、細かな作り方を指示する患者がいるとか。
「俺のチンコ、もってて」と、トイレで言われたとか。

一年以上入院していた患者が退院する日、病室で私服に着替えていたのが患者本人だったと気づかなくて笑ったとか。
"I hope to see you again, but not here. Anywhere else, like a supermarket."と言って、退院患者を送り出すことにしたとか。

そうだよね、病院にまた戻ってきての再会なんてのは望んじゃいけない。

12時間のシフトを8回こなしたムスメは、トレーニング期間を終え、薬に関する件以外はすべて一人でやれる身分になった。

"I will change your sheets." と声をかけたら、「ハイ」という返事が返ってきて日本人だとわかったムスメ。日本人でしょう?と聞くと、「よくわかったねぇ。皆たいてい中国人に間違えるんだよ」と日本人のおじいちゃん。
「私のお母さんは日本人。中国人との違いを小さい頃から徹底的に教えられれて叩き込まれたから」と答えたら、一緒にいて通訳をしていた息子さんも一緒に大笑いされたとか。

「日本人は礼儀正しくて丁寧だから、すぐわかる」と、ムスメは言う。

いつビデオ電話がかかってくるかまるで予想できないから、内緒で男なんか連れ込んだら大変なことになる。笑。どっちが親かわかったものではない。


ほんとにおもしろいのだけれど、一人暮らしを始めたムスメが帰省して、ふたり暮らしをしたら、お互いに面倒だと思うことが増えた。当たり前だ。彼女には彼女の暮らし方ができて、それは私の暮らし方とは違う。お互いにお互いの動きを見ていて、口をだしそうになりながら堪える。

母がそうだから、ここで口をだすと小競り合いになる、と私にはわかっていた。そういう小競り合いには意味がない。一緒に暮らし続けるわけじゃないのに、自分のやり方を相手に押し付けても意味がないと、お互いにわかっている。

何ヶ月ぶりに会ったのに、べったりと一緒には過ごせない。彼女にも私にもひとりでいる時間が必要だった。それはバハマ5泊旅行でも同じだった。

なにもしたくない。どこにも行きたくない。ただゆっくり過ごしたい。というのは、ムスメも私も一致していたから、ホテルを出て観光するなど一切考えず、ホテル内のレストランで食事ができて、Private Beach とプールがいくつかあるホテルを選んだ。

初日はプールサイドのカバナに二人で寝そべって過ごしたが、翌日ムスメは肌を灼くのだとビーチに向かい、灼きたくない私はプールに残り、海に入るときだけ声をかけてね、と言っておいた。水着姿の写真を撮ってくれと言われて、よいしょと腰を上げ、二人で海沿いで貝殻を拾い、写真を撮りあった。

ムスメもムスコも白人 Ex.の血が入ってるから、陽に当たると真っ赤になる。灼けるんじゃなくて、焼ける。どんなに日焼け止めを塗っても、焼ける。今回も同じで、寝返りを打つことすら痛い、と悲鳴をあげ、身体がほてって夜眠れなくなり、氷風呂につかって、James に電話して、夏の間オンラインでとっているコースの勉強をして、最終日を迎える有り様。

真っ赤になったあとは、皮が剥ける。剥かせてくれるので、これがスーパー楽しい。肩も背中もおっぱい近辺までも。ゆっくりゆっくり剥いていって、すごい大きさの皮が剥けて、大喜びの私を見て、笑っている。

 "Are you having fun?" "YES!!!" 

私は一人でプールサイドで読書三昧。ブランチと夕食だけ一緒で、あとはプール際でスコットランド出身のオヤジに捕まって自業自得な思いをした。

せっかく二人で思い出づくりの旅行だってのに、なんだかさっぱり一緒に過ごしてないと思ったけれど、仕方ない。一緒にいてケンカするくらいなら、こうしてるほうがいいのだ、と思うことにした。

5泊が限界だと思ったのか、8月半ばに私がオハイオに会いに行く計画を立てているとき、「何泊すればいいの?」と聞いたら「5泊」と即答しやがった。

それで全然いいけどさ。

ムスコとは違って、ムスメはしょっちゅう電話してくるから、彼女の成長具合が手に取るようにわかる。聞かれたときしか、アドバイスする必要ないのだと気づいてからは、そういう私の態度の変化に合わせて、話してくれるようになったように思う。

最初の頃は、ちょっと口をだしては突っぱねられた。そういう場面で、私が何を言うかは、もうこの18年間で十分わかってると言わんばかりだった。実際、同じことを言ってるよなぁと私自身も気づいた。まだわかってないだろうと思っているのは私だけで、子供のほうはもううんざりするくらい何度も言われてわかっている。身にしみついているらしい。

つまり。それこそが「子育て」の結果。

子供との距離感は、彼らの成長とともに変わっていく。変わっていって当然だし、変わっていかなきゃならない。

自分の手から離れていくことをさみしいと思うか。思うかもしれない。
でも。自分が親から独立していったときのワクワク感、自立していく喜びを思い出せばいい。それを親に認めてもらいたいと思う気持ち。

一人前になった子供が幸せを感じた時、お母さんありがとう、って思ってもらえるのは間違いのだから。

ただただ好きで書いています。書いてお金をもらうようになったら、純粋に好きで書くのとは違ってくるのでしょうか。