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看護科の授業で。究極の選択。実地訓練。

大学で看護学を専攻するムスメの授業で、こんな議論があったという。

"Mom, listen to this. Tell me who should receive a liver."

腎臓移植を誰が受けるべきか。候補者は7名。

14才の女の子。交通事故により腎臓損傷。
71才の科学者。腎臓癌。癌治療の開発が間近 ("in months")
37才のシングルマザー。3人の子供のうち、一人はHep-C。
51才の前CEO 。暴飲により腎臓疾患。
23才の医学生。新婚。医療ミスにより腎臓疾患。
12才の王女。生まれつきの腎臓異常。移植を受けられたら、20億円を病院に寄付する約束。
42才の野球選手。アル中。

あなたなら誰を選ぶ?

ムスメは自分は誰を選んだか、 クラスの大多数が誰を選んだかを言わずに、私に考えさせた。

まず。一番最初に除外したのは、自業自得で腎臓疾患がある患者。
51才のCEOと42才のアル中。

次に。年齢から、71才の科学者。
癌治療の開発が「近い」とはいえ、"in months"では1年後かもしれない。それに彼一人で研究しているわけではなく、誰かが引き継ぐのだから。

残るは。
14才、37才、23才と12才の王女。

12才の王女を除外する。20億円の寄付を振りかざして移植の権利を得ようとしている。金で臓器を買おうというのか。

私が選んだのは、37才のシングルマザー。
私自身が母親だから、というのが理由ではない。彼女を救うことで、3人の子供たちは孤児にならない。そして、彼女を救えば、Hep-Cの子も彼女が救うだろう。

"Thank you." とムスメは言った。
彼女の選択も同じだった。私とムスメは、やっぱり倫理観、論理の進行方向が一致している。

ところが。クラスは圧倒多数で12才の王女を選んだという。

アメリカ、だ。

追記。コメント欄に医学的見地からの解答あり。

たなかともこさん、ありがとう。

私もそうだったが、アジア出身の人は、看護師の地位と役割の大きさを理解してないことが多い。アジア諸国では医者の社会的地位が高く、看護師は医者のサポートでしかないというイメージが強いからだろう。

が。ムスメが上手に説明してくれた。

「医者ってのは患部を見て薬を処方して手術をするでしょ。最初に患者と接するのは看護師。患者が表現する症状だけでなく、精神状態や生活習慣も含めた一人の人間としての患者を総合的に診て、どの検査が必要かを判断し検査結果を見て、それらすべてから医学的診断をして、医者に伝える。それが看護師の役目。」

医者なんて、看護師がいなかったら、薬の処方にすらたどり着けないようなものらしい。医者の勘違いや間違いを事前に防ぐのも看護師であることが多い。

"It is a different path to medicine."
医学へのもう一つの道、とムスメは表現した。

アメリカの大学では、医者希望だと決めていれば、学部は"Pre Med" を専攻する。が、例えば、学部は生物学専攻で、Medical Schoolに進学する形もあって、そこで初めて医学部専攻ということになる。弁護士になるのも似たようなもので、学部専攻に関係なく Law School に進むことで法学部専攻になる。

医者になる道は果てしなく遠い。学部4年のあと、Medical Schoolで4年。その後、Residency といういわゆる現場の経験を 3-7年。つまり大学生になってから11-18年もかかる。順調にいっても医者になる年齢は30代前半。そのくらい勉強してもらわなきゃ、人の命を預かる資格など与えられないということでもあり、それだけの長い年月かかっても医者になりたいと思う人こそが医者になるべきということだ。

中国系やインド系は親が子供に医者になることを「強いる」ケースが多い。ところが、高校の生物の授業で解剖をやって、絶対に嫌だダメだと進路変更した子を私は何人も知っている。

親に強いられて Pre Med 専攻で大学に入り Medical School に進み、あと1年で卒業というところで、やっぱり嫌だと退学した若者を知っている。親とはほぼ絶縁状態となり、彼はそれまでのすべての学費を親に返済すべく働いていた。そのうち NASA に職を得て専攻を宇宙工学に変更し、そのまま NASAで働いている。よく決断した、本当に良かったと思う。優秀だとは思っていたが、あとでまさかのHarvard Medical School だったと知った。親が絶縁するわけだ。

でも。医者は、親に強いられてなるようなものじゃない。

Pre Med専攻の学生は、学部時代にはなにも医学的なことは学ばないし、病院という現場で患者と接することもない。Nursing 専攻は4年間で必要な課目をすべて学び、看護師試験を受けて合格すれば卒業と同時に看護師になる。

どおりで医学ドラマをみると、若い医者(おそらくResidency中の)が年配の看護師にあしらわれているわけだ。

Nursing を専攻すると、大抵大学3年から実地訓練が始まるが、ムスメの大学は1年生のそれも入学して1ヶ月もしないうちにそれが始まる。看護科が課す卒業までにこなす実地訓練 ("Clinicals") の平均時間は600時間。看護科で有名な大学ですら800時間前後なのに対し、ムスメの大学は1200時間を超え、これだけ大学数の多いアメリカで最長時間を誇る。看護科の建物は世界的に有名な医療施設と直結しているし、その病院の他にキャンパスには二つの病院があって、その三病院に割り振られて看護学生たちは訓練を受ける。

一年生は、週に一回。秋学期は2時間。春学期は4時間。
二年生は、週に二回。秋学期は6時間と8時間。春学期は二回とも8時間。
どんどん時間が長くなっていく。

この他に、"Community Service"という課目で、看護学生たちは地元民への医療サービスにも携わり、この大学がこのプログラムを通じて提供する地域サービスは一年間に16,000時間に達する。学生にはこれも別枠の実地訓練となる。

ムスメの大学では、看護科1年生120人が入学し、1年もたたないうちに10人が drop out(専攻を変更か、退学)した。入学した時に指導教官に、卒業するのは80人程度、と宣言された、という。

看護学生がおおいに同意するこのジョーク。
ムスメはストレスで、継続的にニキビ発生。

他の専攻の学生と共通の課目の合格ラインは60%であるのに対し、看護科専門課目は70%だから、最初のテストで40%なんていう結果だとその時点で再履修決定で、卒業がその分遅れることになる。


ムスメは大学に入学し、一ヶ月もたたないうちに実地訓練で患者の死を初めて経験した。

その患者はいくつも癌を経験していて、ようやく手術や治療をつうじて寛解に達したというのに、また新しい癌が見つかった。ムスメはその前の週もその患者の担当で、その前向きで明るい彼女をまた引き受けた。

新しい癌がまた見つかって、明るい彼女がその日は朝から暗かったという。さて今日は何をして過ごそうか、とムスメは彼女を散歩に連れ出し、お風呂に入れ、マニキュアを塗ってあげながら、楽しい会話を続けた。

彼女を寝かせるためにベッドを整えようと、椅子に座らせると、

"I had such a great day with you, Nicole."

と彼女が言った。

"Me, too!! We had such a great time together. "

とにっこり答えたムスメの目の前で、ガクッと全身の力が抜けた。

「ママ、私、彼女の魂がふわっと身体からでていくのを見たの。文字通り、でていったの。」

DNR ("Do not resuscitate") つまり延命措置はしないという書類に署名していた患者だったから、ムスメは指導教官に通知して、ただ座っていた。席を外していた家族(子供たち)が部屋に戻り、なんとかしろと叫び大騒ぎになった。

当然家族はDNRだと知っていたし、いつ母親が息をひきとってもおかしくないという認識もあった。それでも、その瞬間、まだ18才の看護学生に向かってそういう反応をしてしまう。落ち着いた家族に、ムスメはどんな一日を彼女と過ごしたかを話した。先に逝った父親にようやく会いにいったのだと、彼らは母親の死を受け止めた。

私は、最愛の弟を亡くしている。私が死を恐れていないこと、いつになるかわからないけど、弟に会いに行けると思っていることを、ムスメは知っている。

後日。まだ学生で、亡くなった患者の家族と関係が続くなんてことはまずないにもかかわらず、例外として遺族から連絡があった。

お墓の石に、彼女の最後の言葉、"I had such a good day with you, Nicole."  と刻んだ、と教えてくれたそうだ。

ムスメにとっての最初の患者の死。患者の彼女は、そんなに楽しい時間を最後にムスメと過ごせてよかったなぁ、と思う。暗い気分が明るくなって、そしてご主人に会いに行ったのだ。ムスメにとっても、後悔に満ちた辛い看護経験ではなく、最後の瞬間まで苦しんで亡くなった患者ではなかった。

死は、誰にでもやってくる。公平に。
ただ、それがいつなのかだけが誰にもわからない。

ムスメはよい看護師になる。

さて。あさってはムスメの19才の誕生日。会いに行ってきます。4泊旅行。

ただただ好きで書いています。書いてお金をもらうようになったら、純粋に好きで書くのとは違ってくるのでしょうか。