見出し画像

サルコペニア肥満症の男

ショートショート 940文字

 公園かと思ったがそこは神社だった。俺が細い裏側の道から入っただけで、正面にはちゃんと鳥居があり立派な拝殿へと石畳が続いていた。その脇にはお祭りのときに舞でも踊るのであろう大きな舞台まである。
 小鳥がさえずる中をふらふらとベンチに近づいてやっとのことで腰を下ろした。まるで砂でも吸って吐いてしているかのように息がのどに張り付く。吐き気と眩暈と頭痛がした。

 先日返ってきた人間ドックの結果は散々なものだった。肺機能や血管年齢などほとんどの数値が平均よりも大きく下回っていた。聞いたこともなかったが、サルコペニア症候群の恐れありとのことで、筋肉が老人並みに衰えているらしい。まだ四十半ば、昔は四十歳を初老と呼んだらしいが今ではまだまだ現役の年齢だ。そんなはずはないと思って休日の朝からジョギングをしてみた。一分もしないうちに息が上がったがそのうち体が慣れると言い聞かせもう数分無理をしたら立っていられない程の眩暈がした。
 そしてちょうど細い路地の奥に見えたベンチを頼ってこの神社にたどりついたのだった。

 それにしても同じ町内にこんなに大きな神社があったとは。引っ越してきて数ヶ月になるが全く気付かなかった。
 少しずつだが呼吸が落ち着いてきた。なんとも情けない気持ちでいっぱいだったが、五月の風は気持ちがよかった。ベンチはビルの五階はあろうかというくらいの大きな木の下にあって、木漏れ日が美しい。足元に見たことのない小さな松ぼっくりみたいな種がたくさん転がっていた。
 俺はなにも分かっていないのだなと思った。近所の神社も、この種がなにかも、この鳴いている鳥の名も、自分の体のことも。
 あなたは何もわかっていない。数ヶ月前、離婚する前にあいつが言った言葉もそれだった。俺は未だに何が分かっていなかったのか分からない。

 外資の金融会社で長年働き、ニューヨークでもシンガポールでも実績を残してきた。金融、経済のスペシャリストであるこの俺が植物の名前ひとつ分からない。長年連れ添った人の言った意味が分からない。好きだった人の気持ちが分からない。俺にはなんにも分からない。

 心身ともに疲れ切っていた。なんとも惨めな気持ちでいっぱいだったが、五月の風は気持ちがよかった。とても大きな木の下にあって、木漏れ日はとても美しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?