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血圧を測っている中年男性

ショートショート 1110文字

 薄手のシャツならまくらなくても良いとのことだったので、そのまま腕を通してスタートのボタンを押した。待合室の奥にある無料の自販機の前でアロハシャツを着た男がどのボタンを押すか悩んでいた。入口の外で輸血用の血液が足りていませんと大声で張り上げていた男がいたが中まで声は聞こえなかった。

 タニさんと呼ばれている男が、血圧計が怖いと言っていたのを思い出した。もう二十年以上前によく通っていたバーでの話だ。みんなからタニさんと呼ばれていたが本名かどうかは分からない。私は名字が藤原なので組長と呼ばれていたし、赤い革ジャンを着ていた若い女の子はMJと呼ばれていた。

 アロハシャツの男がボタンを押した。ここからでは何を押したか分からないが氷が紙コップに落ちる音がしたので冷たいものを選んだのだろう。よくある青地に白の花柄のアロハシャツがなぜかとても不快だった。ガラス戸の外をみると呼び込みをしていた男がスーツを着た男と話していた。スーツの男は腕時計を見ながら話している。

「血圧計って結構きつく腕をしめるだろ。血管ってのはちょっと血栓ができただけでくも膜下だのなんだのってなるのに、あんなに締め付けるのはよくないと思うんだよな。絶対体に良くないよあれ」タニさんはそう言っていた。それを思い出すと急に血圧計が怖くなってきた。血圧計はすでに私の腕に少しずつ負荷を与えつつあった。次第に自分の腕が脈打っているのが感じられる。

 視界の端でアロハシャツの男の履いているビーチサンダルが見えた。いかにも安物の黄色いサンダルだが縁が黒ずんでひどく汚れている。私はいよいよこの男が不愉快でたまらななかった。ガラス戸の外で呼び込みの男がスーツの男とこちらに歩いてくるのが見えた。どうやら時間の折り合いがついたらしい。

「それにああいう機械って随分長いこと使い続けるだろ。いつか壊れて締め付けが戻りませんってことにならないのかな。とにかく俺はあれが本当に嫌なんだよね」タニさんは言った。

 血圧計は思ったより長いこと私の腕を締め付けている。こんなに長かっただろうか。私の腕は自分でもどの部分に血管が通っているのかはっきりわかるほど強く締め付けられて脈打っている。急に不安になり脇汗がにじむのが自分でも分かった。ふいに血圧計の締め付けが弱まった。私も一緒に息を吐きだす。息を止めていたことに気づき自分の怯えっぷりに思わず笑ってしまった。ふらふらと立ち上がって機械が吐き出した血圧が書かれた感熱紙を係の人に渡す。アロハシャツの男は立ったまま一気に飲み干して氷を噛んでいた。私はいよいよ嫌悪に近いものを男に抱いていた。呼び込みの男が入ってきて、男性一名ご案内お願いしますと大声で告げた。

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