錆の皮

 死んでしまおうと思っていたのとは違うのだと思う。

 わたしは、そのひとを初めて見たとき、ああ、憎悪というのはうつくしいのだ、と思ったのだ。その時までわたしは憎悪なんてものは魂についたごみくずのようなもので、人生をすすめるに於いて必要のないものだと思っていた。でも誰かがどうにも出来なくて名前をつけて、それが未だどうにも出来なかったまま残っているだけのはなし、と。つまり、わたしには関係のないものだと思っていたのだ。
 なんてことない、普通の日。
 古びた歩道橋で、手すりの錆をいじっていたそのひとを見るまで、わたしには、まったくもって―――関係のない、ものだった。それは、本当にそうだったのだ。
「不思議なことを言うね」
わたしの言葉を聞いたそのひとは、何の衒いもなくそう呟いた。少し笑っていたかもしれないけれど、多分それは驚いたとか、そういうただの反応に近くて、わたしのことをどうこう思ったのとは違うのだろう。わたしはこれでも目がとてもよくて、そのひとのいじっていた手すりが全然きれいになっていないことにもちゃんと、気がついていた。
「ふしぎなこと?」
わたしは問い返す。いつだか、賢い人間は馬鹿のふりをしたオウムと同じうごきをするのだと聞いた。わたしは問うて、誰かが返す。わたしはなるほど、としみじみ言ったり初めて知ったと喜んでみたり、そういう反応をしてやる。そういうものが、何かを円滑にする。何かは分からなかったけれど。
 そのひとはわたしの遣り口が分かったらしい。
「きみにはそう思えるんだ?」
驚いたように言った。まとめての反応みたいだった。まるで水のような音。こんなにけもののようななりをしているのに、そのひとは何処までもうつくしくて、その原因が憎悪であることが、未だわたしには信じられなかった。
「信じられない方がきっと良いんだよ」
きみは正しい、とそのひとは言う。わたしをこどものように扱うことはしないのに、まるで先生のような顔でそう言ってみせる。
「どうして?」
だからわたしは問う、生徒のような顔をしてみせる。わたしにだって生徒だった頃はあって、だから思い出すのも簡単だった。
「どうしてだろうね」
 そのひとは口をとがらせてみせて、それからもう、何も答えてはくれなかった。
 学校で出される問題には、大抵答えがあったのに。そんなことを思いながら、これじゃあヒットチャートと何も変わらない、とも思う。わたしは、一つ、隔絶した生徒だった。何もかもが、わたしには触れはくれなかった。わたしは何処でだって、一つ、線のこちらがわにいた。
 だから。

 死んでしまおうと思っていたのとは違うのだと思う。

 それでも、その日。
 憎悪を飼い慣らしたうつくしいけものが剥げなかった錆を、わたしは上手に剥ぐことができたので、いつかわたしはそのひとを理解するのだろう、と思った。死んでしまおう、と思っていたそのひとが、その日は死んでしまわなかったみたいに、わたしが何の変哲もなく死んでしまうようなことだってあり得るのだろう、と知ったのだ。

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