『消極性デザイン宣言』と建築

僕は人と話すのが苦手だ。いや、正確に言えば、1対1や大人数の前で話すのは問題ないが、ある程度の人数のグループで話すのが苦手だ。そして、人の目が見れない。なぜ、こんなにも他の人は目を見れるのだろうと不思議にすら思う。

『消極性デザイン宣言 ―消極的な人よ、声を上げよ。……いや、上げなくてよい。』という本書は、そんな消極的なデザインこそが世の中を変える鍵になるかもしれないという可能性を示した本だ。
今まで「消極性デザイン」という視点が注目されなかったのは、その視点を持つ人たちが消極的だったからだ。ただ、インターネットによって消極的な人たちが表に出てこれるような世界に一瞬なった。しかし、インターネットは、いまや炎上という積極的な敵意によって支配されている。そんな時代だからこそ、今まさに「消極性デザイン」を再定義することこそがかつて持っていたインターネットの未来を探すことであり、優しい世界の実現である。

消極性デザインと関連して「アフォーダンス」という概念が存在する。ある程度の高さのものがあったときに、人はそれが椅子なのか机なのかを判断できる。これがアフォーダンスだ。つまり、特になにか明確な指示があるわけではないのに「そうするのが自然である」と感じる現象だ。これは「消極性デザイン」と大いに関係する。
また、玄関もアフォーダンスの良い例だ。入口から入って、床に20cmの段差を設けるだけでそこが玄関だと認識できる。特に日本人はそこで靴を脱ぐという動作も自然とくっついてくる。
建築空間にはアフォーダンスが仕組まれていることが多い。建築と消極性デザインという観点で考えると、単にバリアフリーにして段差をなくすだけではない、新しいデザインが見えてくる。例えば、引きこもりにくい家や逆に引きこもりやすい家を作ることが可能ではないか?そう思えてきた。

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