スピリチュアルペインについて考える
痛みや苦痛が単に物理的なものだけであったら、そこまで辛くはないだろう。
大学生の頃に受講した「死生学」という講義は私の人生観を変えたきっかけだった。死生学という学問は、その言葉の響きから‘”死ぬと人はどうなるのか”を学ぶ領域だと想像するかもしれないが、その本質は、”生きる”ことの意味を考えることである。
死を「自分に起こるもの」として受容し、はじめて「自分の生き方」という問いに直面することができる。
又、逆も然り。「生き方」を考えることは、同時に「死に方」を考えることに繋がる。
老若男女問わず、私たちは生きていると、「自分は今何をしているのだろう。何の為に生きているのだろう」と疑問に思うことがある。
そして、その問いに対する答えを見出せずに悩む人がいる。
それが過激化すると、自傷行為に至るケースさえある。
このような、人間の存在の根底を揺るがす苦しみが「スピリチュアルペイン」
スポーツ選手に見られる「バーンアウトシンドローム」という症状をご存知だろうか。日本語では、「燃え尽き症候群」という。これは、アスリートが自分の競技人生を心の炎が燃え尽きるまでやり切った後の疲労感のことをいう、のではなく、
燃え尽きることができなかったが為に、精神的疲労感や生きがいをなくしてしまうこという。これも一種のスピリチュアルペインだろう。
人は、命を授かってから、生きることと死ぬことは決定づけられており、逆らうことができない。そして、生きることは時間というレールに委ねられ、止めることも戻ることもできない。
しかしその中でも、その有限の人生を、どのように生きるのか、何の為に生きるのかは個人の決定に委ねられる。
スピリチュアルペインへの薬は無く、周囲の家族や友人の支えにより一時的に和らぐかもしれないが、結局は、自分の信念による支えを作るほか対処法はない。
有限の人生を、どのように生きるのか、何の為に生きるのか。
どのような死に方をするのか。
この人生という時間軸をより目の前に近づけ、
10年後の為に、この1年をどう過ごそうか。
この1年の為に、今月どう過ごそうか。
今月のために今週。
今週のために今日。
今日のためにこの1時間。
この1時間のためにこの10分。
と逆算して命について考える時間も必要だ。
目に見えないものに目を注ぎ(生きがいや、やりがい、優しさ、温かさなど)、時間を過ごしていくこともまた重要か。