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留学帰国後妊娠発覚、『まさか私が。』① 〜なぜ私は普通に生きれないのか〜

ご無沙汰の投稿。
留学生活を毎日投稿するつもりが結局このザマよ。続くことはなかった。
そして今無事日本へ帰国。
たくさん綴りたい素晴らしい思い出、体験経験、本当はたくさんある。
たくさんあったのに。



4ヶ月の海外滞在で貯金はほぼほぼ尽きた。
仕事はしていない。
相手は外国人。
中絶は罪。
親に言えるわけがない。
でも乗り越えないといけない。
これもなにかを教えてくれるために起きた、
私の人生に必要不可欠だった何かなのかも知れない

毎日いろんな感情が頭の中をぐるぐるとする。

それにしてもとんでもないことになってしまった。



留学帰国後、産婦人科にて妊娠が発覚。
もちろん相手は外国人。
しかも思い当たる人は2人。
どちらが父親なのかわからない。
こんなドラマみたいな他人事みたいな話は
私に起きていると言うのか。

産めるわけがない。
中絶を検討している。

そしてもちろん親に言えるわけがない。
私は親のことをよくわかっている。
泣くだろう。
そしてどうしてこんな子に育ったんだと自分を責め出すだろう。

親には伝えるべきという意見があればもちろん理解はする。
しかし私は言わない方が親のためだと思う。
お母さんはドンと構えれるキャパシティを持ち合わせてない。
すごく繊細な人間だ。
私と違って狭い世界で生きてきた人間。
自分の中での良い悪いの分別が自分の生きてきた価値観で作られいてる。
他人と違うことをとても嫌う。
普通こそが一番だと考えて生きている。
だから、自分のわからないこと、やったことに対して全部ネガティブに捉える傾向にある。みんなが悪いと思っていることに対しては必ずの悪だと捉える。

人の悪口は言ってはいけない。海外なんて危険。転職なんて。


親だから寄り添ってくれるなんてことはまあ時間が経てばあり得るのかも知れないけどまずないだろう。
永遠に自分を責め続けるだろうし、なんでこんな子に育ったんだろうと悲観して何も手につかなくなると思う。
悲しい思い辛い思いを私のせいで誰かにさせたくはない。

帰国後の私は実家暮らし。
年内はハローワークの職業訓練に通うべく実家で過ごさせてもらう予定をしているのにこんなことになるとは。
毎日顔を合わせている。
妊娠が発覚してからの生活はこの上なく辛い。
何を話すにも一緒にいるだけでもものすごく強烈な罪悪感に駆られる。
目が合わせれない。
ひたすらこんな子になってしまってごめんなさい、と思い
ふいに涙がでそうになる。


さて今回の件。何を考えさせられるか。

自分の思慮の浅さ
倫理観の無さ
場の雰囲気に流されやすさ
性行為へに対する知識の無さ

自分のいくつもの落ち度、
呆れて言葉も出ない、
こんな自分が嫌すぎる。


悪いのは私。
責任は全て自分。
男側を責める余地は1ミクロンもない。
そのくらい私の責任。
取り返しのつかないことをしてしまった。
いつもみたいにまあどうにかなるでは済まない。
ADHDだからあんま考えてなかったで済むハナシでもない。
でも実際はそうおもてったからこういうことが起きた。
この現状は自分が巻いた種とは言え自分を保つことができない。
体調もずっと優れない。
なぜうまく生きれない。
なんでいつも私はこうなんだ。
後先が考えられない。
今が楽しければいいと思ってしまう。
親は私を大切に大切に育ててくれたのに。
何をどこで間違えたんだ。
大多数の人間に備わっているはずの倫理観、私はどこへ置いてきた。

この世で一番自分が信用ならない。

いつもはみ出て生きてる。
それは小さい頃からずっと感じてきた。
普通にしている子と自分とのギャップがいつも辛かった。
でもまだ自分は普通の子を取り繕えている感覚ではいた。
完全にはみでている人らと自分はまだ違うと思っていた。
しかしついに行くとこまで行ってしまった。
取り返しのつかないこと。
犯罪を犯したような気分。
なによりも辛いのが自分だけだったらいいものを、
他の人にまで迷惑かけていると言うこと。

こんな人間になってしまって本当に本当に申し訳ないということ。
生きてて申し訳ない。


大人になり妊活する人をたくさん見た。
子供が欲しくてもそれは難しく、そして妊娠出産がどれだけ奇跡的ですばらしいものであるのかは知っている。

だからもし自分が結婚して初めて妊娠できたら
どれだけ感動するだろう、と考えたこともある。


私の同世代は結婚して子供がいる子も多い。
SNSを開けば夫にお腹の子の性別サプライズ報告だったり
1ヶ月ごとの子供の成長を載せている投稿もたくさん見かける。
私もいつかこうなりたいって強く思っていた。
てかなんなら私は大学生の時から早く結婚したいと思っていたし
子供も早く欲しいと思っていた。
実際に結婚はおろか、人と付き合うことさえろくになかった。
だし自分は順当な人生のルートを辿れるタイプではないなと
薄々気づいていた。
日本を飛び出て海外に行ったのはどんどんマイノリティに感じる日本にいたくなかったというのも一つの理由と言える。


妊娠が発覚してから、
これを書いてる今日は発覚してから4日目なんだけど
毎日生きた心地がしない。
朝起きるといつも絶望する、自分は妊娠しているんだ、と。
どうしよう、と。
このまま永遠に寝ていたかったと思う。

本来喜ばしい妊娠に対してこんな感情を持ちたくなかった。


現実的に生むことは難しいのだけど
でも。
もし産んだら。どうなんだろう。
そんなことも実はこの数日ものすごく考えた。

ちなみに可能性が高いと思ったフィリピン人の方には妊娠したことは伝えた。私たちは短期間、たった2回しか会ってない関係ではあった。
ティンダーで知り合った人とゆえば、そんな人、、と否定する人もいるだろう。
それでも私たちはとても良好な関係を築いた。
彼はとても穏やかで寛容でユーモアもありオープンマインドであった。
お互いの国の違い、これまでの人生、これからの展望、
いろんなことを共有し、互いの意見を尊重した。
まるで違う生活そしてきたわけだけど
私も彼に対するリスペクトがあった。すごいなって。

そんななんでも包み込んでくれるような彼の優しさに触れて、
こういう人と、この人とずっと一緒にいれたらなと私は思った。

彼氏だったらいいのに、彼女だったらいいのに、と
言い合った、居心地がよかった。
彼に出会うまではフィリピン人自体があまりいい印象はなかった、
これは前の記事にも書いたはず。
でも彼に会って、フィリピンにまた戻ってきてもいいなと本当に思えた、
それは男女の関係としてだけでなく普通に。
セブ留学2ヶ月はとても楽しいものだったけど、さらに彼との出会いは
フィリピンに対する想いを特別なものにしてくれた。
でも私はこの後ドバイで働きたいと言う夢があったしまず日本に帰らないといけない。
彼も長年の夢だったフライトアテンダントに今年なったばかり。
互いの現実を互いにわかっていた。
しばらくはお互い自分の夢に向かって頑張ろう、と言ってお別れした。
最後の時には愛してると言いあった。
どこにいても自分自身を気にかけることを忘れないでとメールもくれた。


そして妊娠発覚。離れててどうしようもないのに伝えた方がいいのか迷いつつも彼には伝えた。

彼は、「どうか怒らないで欲しい、でも正直に答えて欲しい、それは本当に僕の子なのか。君は他の誰かとしてないのか」

「僕はまだ準備できてないけどこうなったら仕方ない、男としての責任をとらないといけない。」

「君がフィリピンに来たら君と子供の面倒は僕が見るよ」

「中絶だけはどうか考え直して欲しい、それは大きな罪なんだ、その罪を僕は受けたくない」

いろいろと、長々と、発覚してからの3日間はやりとりを交わした。

彼はカトリック。というかフィリピンのほとんどの人はカトリック信者である。彼らにとって中絶は大きな罪に当たる。
性欲に任せた性行為は好ましくなく、結婚した男女が、快楽ではなく出産のためにする性行為が人間にふさわしい行為と考えられているらしい。
留学中のディベートの授業でも習った。
だからフィリピンではコンドームをつけることをしないという。
コンドームを薬局で買えばこの人は性欲のためだけに性行為をするということになり非難される。


フィリピンでの2ヶ月を経た後は渡豪しワーホリをする予定だったが
気が変わった。どうせ行っても学生気分のままでおわりそうだなと思い
ワーホリに興味が一切なくなった。
また行ってもアジア人ばっかだろうなーと思うとそれも私のモチベーションを低下させた。
なにより、日本人行き過ぎ。わかってはいたことだけどこんなにもみんなこの留学の後はオーストラリアに集結するのかと絶望した。


ということで海外での就職、現地採用とかそういった視点に切り替えた。

でも別にむちゃくちゃ大きい自分の夢というわけでもない。
人から見たら海外行って行動してすごいだなんて言われるけど
そこまで自分に興味があるわけでもないのが実際のところ。
わりと自分のために生きることにくたびれていりもする。
自分のために生きるより誰かのために生きる方がいいだろうなと思っている。心から好きと思える人がいれば。


親に内緒で勝手にフィリピン行って産もうか。
そんなことを思った。
私はもともと外国人と結婚したいと思っていた。
あのフィリピン人も好きだった。
留学中ではなく、
留学終わって、かつ、オーストラリアではなく安全安心の日本で発覚した。

なるべくしてなった運命だったのかな?

こんなふうに思ったりもした。
どうせ自分は普通の道を行かない、行くことができない、
これはこれで私らしいじゃないか。
そろそろ人のために生きるには適齢期だろう。

こんなことを考えているせいかSNSではやたら
赤ちゃんや子供が目につく。
欲しさが増す。


その場の楽しさと欲望でできた子供、
でもデキ婚してる人もいるしなあ。
でもデキ婚の離婚率は40パーセントらしい。


もう普通の倫理観というのがない。わからない。
自分が不安になる。
人それぞれ、同じ人は誰一人いないとはゆえ
この件はそういう言葉で括られて良いものではないことは
頭ではわかっている。


さあここまで書いてるうちに発覚から5日経とうとしている。
情緒不安定で泣いたりパニックになったりしてた日々に比べると
落ち着きを取り戻しつつある。
受け入れることができ始めた。
よくも悪くも、もう、どうしようもないのだ。

3日後に胎嚢の確認をしに再び産婦人科へ。
これが子宮外妊娠だったら入院と手術とで親の同意がいるので
確実に言わなければならない。
それはそれで仕方がない。


それにしても。
生きるってこんなにむずかしかったっけ。

ただぼんやりと思う。

いろんなことを考える、振り返る、省みる、反省する。


この先がどうなるか、
今は全くわからない。
だからただただ今は身を委ねて、

全ては何かに繋がっていると信じて。









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