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【小説】夜10時23分

 両親は優しい人たちだと思う。家族にご飯を食べさせるために働き、時間通りにご飯を作り、掃除も洗濯もちゃんと毎日する。わたしが手伝おうとすると、
「いいよいいよ」
と、言って笑う。それでも何もしないのは居心地が悪いので、両親が家にいない時や、わたしが彼らの視界に入っていない時に、こっそり掃除機をかけたりお皿を洗ったりして、あとで
「やっといたよ」
と、声をかけると、彼らはまた笑って、ありがとう、と言う。いいよ、と断られても、無理やり仕事を見つけて、やる。こうやってわたしは、この家にいる意義を見出す。家事をしていれば、わたしがいつか都合の悪い状況になった時、責められることはないだろう。責めようとするところで、
「でも、家事やってくれてるもんね」
と、思いとどまってくれるだろう。

 わたしの1日の楽しみは、恋人との電話だ。毎日夜の10時頃になると、どちらからともなく電話をかける。わたしからかける日は週に3日くらい。恋人がかけてくる日は週に4日くらい。わたしから5日連続で電話をかける週もある。みんな、どんな恋愛をしているのか、よくわからないが、両親は
「そういうことをする関係なんだから、あなたたちは恋人だ」
と、言うのでそうなのだろう。
 恋人とは今日がどんな日だったか、嬉しかったこと、悲しかったこと、初めて経験したこと、などをぽつぽつと話す。爆笑が起こることも涙することもなく、平坦な会話を1時間ほど続けたところで、じゃあ、と言ってどちらからともなく切る。人と会話することがないわたしは、この夜の1時間を愉しんでいる。


「あなたは月のように笑うね」
と、今日の夜10時23分頃、恋人が言った。恋人はわたしのことを「あなた」と呼ぶ。わたしの名前を知らないのだ。わたしも恋人の名前を知らない。「あなた」と呼ぶのもなんだか気恥ずかしくて、わたしは恋人のことを「ねぇ」とか、「ちょっと」とか、どうしても恋人のことだということをハッキリさせなきゃいけない時は、「きみ」と呼ぶ。
 わたしたちにとって、名前なんてどうでもいいことだった。名前なんて、人を区別するためのラベルでしかなくて、わたしたちが興味を持っているのは、お互いの声や、話し方の癖や、ものの考え方や、言葉の選び方なのだ。

 わたしたちは、お互いの顔も知らない。

 わたしは、恋人に会いたい、とも思わない、というか、わたしは「人と会う」という概念を知らない。恋人は、会いたい、と思っているのかわからない。でも、わたしたちの会話のなかに、「会いたい」という話題は出てこない。毎日、今日はカレーを食べた、空が不穏な色をしていた、久しぶりに窓の掃除をした、といったようなことを話す。恋人が、今日もどこかで生きていて、動いていることを知るだけで満足する。わたしたち以外の人間のことは話題にならない。相手のことを褒めたり批判したりもしない。

 だが、今日の夜10時23分、恋人は、
「あなたは月のような声をしている」
と、つぶやいた。毎日電話をする日々が2年半ほど続いた頃だった。

 その言葉を聞いたわたしは、ベッドの上であぐらをかいたまま、動けなくなった。人生の大半を過ごした部屋の中が、他人の部屋のように見えた。そして、今すぐ恋人の頰を撫でたいと思った。わたしにはわからない。どうしたら、頰を撫でられるのか。どうしたら、恋人に触れられる距離まで近づけるのか。

 昨日の夜は、あの発言を聞いてから、わたしが石像かのように何も喋らなくなってしまったため、恋人が、じゃあ、と言って電話を切った。初めて、30分以内に電話が切れた。翌日、わたしは両親に尋ねた。
「恋人に触るにはどうしたらいい?」
その時、開いていた窓から強い風が吹き込み、わたしの髪の毛は横にたなびいて、今わたしが立っているリビングの窓際の壁から反対側の壁について、床でとぐろを巻いた。





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