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1枚のステッカー喪失事件から愛情の話へ


先日職場の会議があった。


私はいつも仕事用スケジュール帳の後ろの方にある
メモページに議事録を残している。


12月ごろ、スケジュール帳の表紙の裏、
カバーのポケットになっているところ
(伝わるかな)
に、あるステッカーをはさんだ



私の心の支えになっているステッカーだ。


雷鳥つめさんというハンドメイド作家さんのステッカーで、私は彼女の作るかわいく優しい生き物たちの世界が大好きなのだ。


なにより好きなのは、
彼女の生き物たちはとっても現実世界で生きていて、


「共にこの激動の世の中を生きていこうぜ!」


みたいな静かでピュアで、
かつ成熟したあの子たちを見てると

「うんうんそうだよね、明日もやってこうか」

と暖かい涙を流しながら
心地よい大切な諦めを感じながら
心があったかくなるのだ。
そして気づいたら頬が緩んでいる。

そんなつめさんのステッカーがどのようなものかというと

無邪気な生き物たちがキラキラと縁取られ
ラメで光沢がある。
そして真ん中には

悔いなく魂燃やせ」の文字。


!!!すき!!!

!!!悔いなく魂燃やせ!!!


いいねえ。
こんな無駄を削ぎ落とした応援メッセージあるかね

私はこの言葉に雷が落ちたのだ。

そうだそうだ。そうなんだよな。
私が悔いなく、やればいいんよ。
思い切りやればいいんよ。

と自分のブレかけてた進み方に大丈夫だよと背中を押してもらったような。

正解を出すためじゃなく、悔いの残らないように!
そして「全力」じゃなく「悔いなく」で、
「頑張る」じゃなく「魂燃やす」のだ。


生きていればいい。


なにかをがんばるとかでもなく、魂燃やして生きてればいい。
なんて大きな大きな………!!
ありがとう!!!くまきち!!!



とそんな私にとってなんとも大切なステッカーを
仕事用スケジュール帳にはさんでいる。


話を本題に戻す。



会議の途中、保護者対応で席を外した。
そのまま会議に戻れなさそうだったため、
スケジュール帳も持っていった。


すると想像以上にするりと事が済み、
会議に戻ることに。

静かに席につき、議事録の続きを書こうと
スケジュール帳を開く。


ない。



ないのだ。


「悔いなく魂燃やせ」がない!!!!


呆然と静かにスケジュール帳を閉じる。


そして、まるで大切な対応のため抜けるかのように静かに席を離れる。


会議より、ステッカーが大事なのだ。


会議は後で全体議事録を見ればいい。
ステッカーは私の仕事メンタルを支えている。

仕事メンタルの安定は日々の保育に影響する。
保育に影響すれば子どもにも影響し、それはつまりその子の家庭にも影響を及ぼすのだ!
つまりは日本の家庭の一部に!!
いかがですか!探しにいかないわけがないでしょう!


と自分を正当化しながら
スケジュール帳を持って歩いた廊下を辿る。
目を皿にして探す。

一往復

ない。

二往復

ない。

いや、

そんなはずはない。


いろいろな想像が頭の中を巡る。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

廊下を歩いていた子どもがステッカーを拾う。
なんだこのキラキラしたシールは。
こーれだーれのー??

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

もしくは

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

子どもがステッカーを拾う。
なんだこのキラキラしたシールは。
せんせい、これ落ちてた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


うんうん。

じゃあ渡された保育士は


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

誰のだろう。
誰か家から持ってきちゃったのかな
というかなんだこれ
「悔いなく魂燃やせ」??
なんという、、クセ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


子どもにせよ保育士にせよ
「これだれのー?」
にちょうど私が出食わせればいい。
「私のです!」
と高々と手を挙げて受け取ればいい。


ただなにより恐ろしいのは
「なにこのシール。笑」と
嘲笑を交えた一言だ。


だって、なんといっても、

悔いなく魂燃やせ

なのだ。


あの素直でやさしく温かい生き物たちをよく知っている私からしたら馴染みのある言葉なのだが、
初見の人からしたら
「なんつーパンチの効いた。。」
となるわけだ。
「なんつークセのあるもの」でもある。


自分の許容範囲を超えたパンチやクセには
嘲笑というガードを使ってパンチのやクセを和らげることが誰しもある。(個人的見解)



「悔いなく魂燃やせ」。

パンチクセだ。


ただ、嘲笑を交えた眼差しや言葉が
私に向けられるのはいい。
全然いい。
(そんな人は職場にはいないとは知っているが…)

ただ、悪意なく


好きな物に向けられるのが怖いのだ。


怖くて、
そして、たまらなく悲しいのだ。



私の好きを傷つけられたくない。


“それ”を好きな私はなんと言われてもいい
(だって好きやもん)、

私が好きな“それ”自体を傷つけられたくない


まあ、
「それを好きな私」を否定されたくないという気持ちも根底にはあるんだろうけれど。


あのステッカーを無闇に傷つけられたくなくて必死に探した。

私の不注意であの子たちを傷つけたくない。


あぁ〜私こんなにもあの子たちが好きだったのか…
などと思いながら探していたら

あったあった。
廊下の端に裏返しでひらりと落ちていました。


よかった。

本当によかった。

何事も無かったかのように神妙な顔で
でも内心安堵の涙を流しながら会議に戻った。



本当に長々と書いてきたが、
つまり言いたいことは

自分の「好き」を大切に守るということ、
それはひとつの愛情だ。


「好き」の対象が
人であれ物であれ、景色や空間など
目に見えないものであっても、
「好き」の対象を守りたいというのは愛情だ。


みんな自分の好きを必死に守っている。


たくさんの好きに囲まれるとその人の愛情ってどんどん高まっていくんだと思う。



愛情って、
まず相手に対して抱く感情と思われがち。
与えるもの。というか。


たしかに対象は外側にあったとしても
自分の内側にある「好き」という自身の感情を大切にした結果生まれるもの。

つまり
自分を受け止めることで
相手を想うことができるんだな

自分の内側に気づいて、受け止めて、
ようやく外側に愛を与えられる。


起点は自分だ。


愛情に溢れた温かい人になりたい〜

これからたくさんたくさん「好き」に出会って増やしていきたいな〜


1枚のステッカー喪失事件から「愛情」の話へ。
話が飛躍しがちな私。


さあ、私は悔いなく魂燃やしていきます!



※写真は雷鳥つめさんが販売されているステッカーのひとつです。

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