見出し画像

日記0816 夏のはじまり

日記。
学校の試験が終わって、夏休みがきた。幸。
周囲(バイト先の小中高生とか、世間のムード)が「夏」に入っていくなかで、大学の試験やらレポートが8月の1週目まで詰め込まれていたので、遅ればせながら駆け足で夏休みに突入した。

体感的には、かなり夏を取り戻せた気がする。
今思えば、緑が元気に茂りすぎている大学の中を、ちょっとでかすぎるセミの声をバックに、汗だくで移動していた日々(わたしの大学は敷地内の高低差がすごい)も、かなり「夏」ではあったが、自分の中の風物詩としての夏を味わえた、と思う。

試験の終了日は中学以来の大切な友人たちと飲みにいった。
会うのはすごく久々なのに、毎日一緒に登下校していたころと変わらないくらい、くだらないことで笑い合えるのって結構すごいと思う。
多分、予定的にもみんなで次会えるのは半年後あたりだと思うけど、意外にその半年が「長い」とも感じない。私たちの間だけの時間の流れ、とでもいうのだろうか、多分次会っても、このあいだと同じようなテンション感でおしゃべりするはずだから(はたまた誰かがすごく落ち込んでいるか)、案外さみしくもならないと思う。

恋人と旅行にも行った。
ひとつびっくりしたことがある。
恋人とは丸二日、ほぼトイレに行くとき以外一緒にいたといっても過言ではなかったのだが、最後帰り道で別れるのが予想以上に名残惜しかったことである。
私はかなり一人の時間が欲しいタイプで、たまに何も予定がない週末に家族が全員家にいると、夕方頃には少し息が詰まるように感じる人間である。
彼とも、以前丸一日ドライブに行ったときはさすがに疲れて、楽しかったけどちょっとお腹いっぱいだな、という感想だった。
なのに今回は、帰りの特急ですら少し寝つつも、ずっとお喋りしていたし、あと5泊はできる気分だった。
たまたま次の日も会う予定があったからすごく助かった。

自分はいわゆる「依存」等はしないタイプだと思っていたし、恋愛中心の人間にはならないように気を付けていた(そもそもなれないと思っていたし)ので驚きとともにちょっと嫌だなとも思う。
人間あげてしまった生活水準は下げられないように、一度慣れてしまったらその環境を手放すのがすごく惜しくなってしまうと思うのだ。

しかも、人間関係や人生における「永遠」や「絶対」を私は信用していないし、「人生ままならない」が私の人生の座右の銘といっては変だが、忘れないようにしている言葉の1つである。

でも、失うことが恐くなるほど、安心感や愉しさをくれる人が横にいてくれるというのは、人生においてとっても貴重で嬉しいことであるのは間違いない。
今はそれを存分に享受するだけでいいのかもしれない。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?