アドラーの教えを持ち得て、期待を捨てなければ、noteを続けられんよ
ラノベのタイトル風タイトル。3ヶ月近く連続投稿してまた書いてみる。
目的をはっきりさせて習慣化する。基本はこれだけ。だが……
さて、以前戯れに恨み節のようなものを投稿したが、3ヶ月近く連続投稿して改めて思ったこともあったので、また凝りもせずに「noteのつづけ方」のお題で書いてみたい。
基本は単純だ。続けるには習慣化すればよい。生活の一部に組み込んでしまい、毎日のルーティンになればそれほど苦もなく続けられる。
あとは、目的をはっきりさせておくことも大事だ。意識高い系の人に踊らされて漠然と始めたのでは長続きなどするわけがない。noteという場を使って、自分は何をなしたいのか、なしていくのか。備忘録ならそれでいいし、ポートフォリオがわりに使うならそれでもよし。目的を達成するための手段がnoteになればいいのであって、noteでなければならない理由がないのならそんなもんは辞めてしまえばよいのである。
閑話休題。
ここからはちょっと余談も踏まえて、ラノベ風タイトルの内容について話をしていきたい。
私はもうかなり割り切れるようになり、ダッシュボードのView数が一桁でも気にしない悟りレベルに到達したが……ほとんどの人はそんな状態耐えられないはず。やっぱり書いたものは見られたいし、反応も欲しいし、もっとゲスな言い方をすればチヤホヤされたい。
チヤホヤされたい場合に必要なのは、素晴らしいテキストを書く能力よりかは、どちらかという売る力、マーケ力だ。今の時代、待っていれば勝手に客がきて大繁盛する店なんぞない。対象を定めて強固なコンセプトを作り、明確な気持ちで持って売り込んでいかなければならない。
ベーカリープロデューサーの岸本拓也氏のパン屋なんかがわかりやすい例だろうか。味ももちろん受けているわけだが、奇抜な店名だったり店構えだったりで、エッジがきいた攻め方をしており関心させられる。
要は、それと同じようなことをやらなければ、この群雄割拠かつ跳梁跋扈なnoteの世界で名を挙げるなんてできないですよ、ということだ。もちろん、そこを飛び越える人もいる。誰から見ても素晴らしい文才を持っている人や、すでに誰もが知っているような著名な人物であれば、売る力とは無関係だ。ただ、私を含め多くのパンピーはそうもいかない。いいものが書けても、人が来てくれないのだ。だから、そのためにローラー作戦であしあとのようにスキをつけまくって自分のところに誘いこむなんてことをやるわけだが、それとて戦略的にやらなければ成功しない。結果として、リアクションがないからモチベーションを維持できず、noteに書くことを辞めてしまう。
note陣営はプラットフォーマーの勤めとして、こういった層のフォローをすべきだと思うが、その話は恨み節にしかならないので一旦はおいておく。まあ、マネタイズ考えればパンピーの相手をする意味はないし(略)。
そこで、ラノベ風タイトルなのである。noteを続けるうえで、私がオススメしたいのは、アドラー心理学の考えを取り入れることと、期待を捨てること。この2つ。
アドラー心理学は「嫌われる勇気」などの大ヒットでなんとなく見知っている人も多いだろう。自身の軸を持ち、他者からの評価を気にせず、コントロールできる範囲のことに対して納得できる形でやる。
さらに、期待しないことを加えていく。とくに「他者」に期待しない。これもアドラーからの派生になるが、他者なんぞコントロール外にいる生き物なわけで、自分の思い通りになるわけがないから期待するだけ無駄なのである。そもそも期待なんかしていなければ、裏切られたなどという感情も起きない。自分が書いたものにリアクションがつかずに落ち込むなんてことは他愛もない話で、コントロール外にいる他者からの評価を期待して勝手に意気消沈しているだけだ。
noteで書く理由が明確にあり、それが目的を達成する手段になっているか。コントロールできない他者に過度な期待をしていないか。このあたり徹底するだけでも、続けられるようになるのではなかろうか。ご参考までに。
追記:以下の話が本件とちょっと似ているが別ベクトル。圧倒的な熱量はすべてを覆す。
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