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ハムマリネ100g

私は実家の食卓にハムマリネが並ぶとクスッと笑ってしまう。
「この惣菜屋のハムマリネって美味しいよね。」と妹が口いっぱいにハムマリネを詰め込みながらも、さらにハムマリネの皿に箸を延ばすので、私もあわてて飛びついた。

薄く扇形にスライスされたハムはオーソドックスなハムとサラミ風のピンクと白のまだら模様のハムである。3、4枚重ねて切ったハムは切られたままのカタマリの部分と撹拌されてほどけた部分がちょうど半分ほどだ。玉ねぎの千切りは羽衣の薄さと、くし切りの厚さのものが混在し食感の変化が面白い。マリネ液はハムとも玉ねぎとの相性が良く、どんな風に相性が良いかと言うと、主張しがちなお酢の酸味をほどよく見え隠れさせる甘味の存在がハムと玉ねぎの味を残して壊さない。複雑な味の集合体にも関わらず「1品」として堂々と食卓の中央に鎮座する。

私の記念すべきはじめてのおつかいは父親にお弁当を届けるではなく、家族のためにカレーの材料を買いに行くわけでもない、この惣菜屋のハムマリネだった。しかも誰のためでもない。唯々、自分の腹を満たしたいがための欲望まみれのおつかいだった。

休日の昼下がり、5歳の私は母が夕飯のおかずとして買ってきた例のハムマリネをおやつ上等にすべて平らげた。夕飯まで待つなど気の長くなる話を一切受け付けなかったらしい。
間を置かずして「もっと食べたい。」とねだる娘を母はどんな気持ちで受け止めたのだろう。今でも考えることがあるが、教育者である母はひらめいた。

娘をおつかいに行かせる。

自立心をくすぐる良い機会ではないかという案であるが、内容が渋いところがテレビ番組との違いだろうか。

「ハムマリネ100gって言うのよ。ハムマリネ100g。忘れちゃったらこれで買えるだけ下さいでもいいから。」
と私に1000円を握らせた。
もしかしたらハムマリネ100gではなく、ハムマリネ1000円分を買うかもしれない娘をドーンと送り出した母は相当な太っ腹だと思う。
家から惣菜屋までは目と鼻の先であるから、当事者としては十二分の自信があったのだが、1000円を握る手は多少汗ばみ、震えていたかは覚えていない。しかし、逸脱した量ではないハムマリネが食卓の中央に輝いていた光景を覚えているので、ミッションは成功だった。

先日、小学生になった甥っ子とその惣菜屋におつかいに行き、「ハムマリネ100gください。」のセリフを甥っ子に譲らなかったのは、私の食いしん坊故の性と母に対する感謝の表れである。