近頃の僕の誤診と教訓

誤診は枚挙にいとまがないです。

研修医がやって凹んでいる間違いを見ると大したことないと感じることが多いです。

僕が比較的最近やった間違いを三つほど紹介します。

一つ目は、感染症としては非典型的な部位だったのに知識不足が仇となり、感染症と無理に断定しました。

腰が痛くて、熱が出ている患者でした。
血液検査の炎症の数値も上がっていました。

後腹膜(お腹の中の空洞の後ろ側の壁、腎臓などがある)に小さな嚢胞(水の入った袋)があり、その周囲に炎症のようのな変化があった。
水(膿)+感染症(熱、炎症)で、「感染がある(膿瘍)」と断定しました。

外科医は、膿を排出すべく、当該部位に管を入れ、内部の液体を取り除きました。

ところが、他の放射線科医は「粘液性嚢胞腺腫」という腫瘍と診断しました。

嚢胞腺腫は良性腫瘍ですが、癌になっている場合もあり、通常は摘出手術が原則です。(癌細胞がばら撒かれてしまうかもしれません。)経験はおろか知識になかったです。

知識不足と、非典型例のオーバーラップが原因と思っていますが
、患者の症状から、感染症として対象を決め打ちしたせいもあると考えています。
多分良性腫瘍に感染が起きていたんだと思います。

結局手術されて診断が確定しました。

二つ目は、ネット検索を信じ、腹部の出血の原因を挙げられませんでした。

突然のお腹の痛みで、検査をしてみると、お腹の中に多量の出血がありました。

このような状態は稀なので、可能な原因を箇条書きにしたものがあれば、上から検討していくという判断になります。

ところが、稀であるがゆえ、手持ちの専門書では記載に乏しく、以前メモったものはあまり整理されていなかったので、ネット検索で専門のレポートを検索したら書いてあるだろうと安易に思って、検索した資料を疑いなく使い、原因のうち2つを想起できませんでした。

家に帰って気づいたという失態でした。
その二つの重要な病気とは、結節性多発動脈炎と、分節性動脈中膜融解というものです。

前者は微小な動脈瘤ができて破裂します。後者も動脈の壁が裂けて動脈瘤ができます。

致死的な病気なのでこれらは見た瞬間反応できねばなりません。
今回は患者さんが亡くなった後にデータを見たので、後の祭りでしたが、次に来たら救命できる可能性があります。

自分でまとめることを怠り、不十分な文献に安易に手を出してしまったと反省しています。

最後に、微妙な変化を見過ごし、化膿性脊椎炎を診断できませんでした。

化膿性脊椎炎とは、背骨に感染が起きる病気のことです。

主に、椎間板という、骨と骨のクッションになる部分に感染が起きて、背中の痛さ+熱で発症します。

今回は、この病気を念頭に置いていましたが、
前回の検査との比較で(要するに体が病気によってどのように変化したかをみるため)、数ミリ単位の微妙な変化があったことを見逃しました。

その数日後主治医の確認によって、もう一度検査され、気づくに至ったのです。

実は、以前、この数ミリ単位の変化に気づいて、正解に辿り着いた経験がありました。一度身につけた観察が、生かされなかったというケースです。
反省はもっと他の視点からもありますが、割愛しています。

感染症の部位がきちんと特定されないことにより、治療方針にブレが生じ、時間をロスしました。

反省の方向性が違うとか、詳しい人ご意見お待ちしています。批判でも苦言でも構いません。

詳しくない人は、いろいろ思うことがあると思います。逮捕しろとか。

が、知ったこっちゃありません。間違いはこれまでもあったし、これからもあります。

研修医の時、こんな想像をしました、
もし自分の医療行為で人が死んでしまったらどうすればいいのだろうか、
自分を悔やんで勤務を自粛するのだろうか、
だとすると、間違いや事故で人が亡くなってしまうたびに申し訳なさを心に刻み続けなければならないのだろうか。

良かれと思ってやったことが悪い結果になることは現実として避けられません。でも、その度に喪に服していたり、悔やんで自殺していたら、と考えると、意味を感じられませんでした。
間違えた後、堂々と仕事をし、二度と同じ轍を踏まぬように分析し、行動を変えて改善できる箇所はないか探します。(開き直っているのではないです)

従って、誰がなんと言おうと、どんなしょうもない理由で起こした過ちであろうが、犯した間違いをできるだけ把握して、前に進みます。

間違いはほっといたら単なる失敗ですが、次につなげ学びとします。