【ハロー息子!】世界が変わる、、、とは思ったけれども。
つわりは重いけれど、それを乗り越えるとキラキラ妊婦生活が待っていると思っていた私。
無知of無知と思い知ったのは、安定期も入って元気な妊婦だと思いこんでいた29週のこと。
いつも通りに検診に行ったその日に切迫早産と診断され入院。
36週になるまで7週間入院することになったのです。
36週になったら、ひとまず退院だ!とはならず。。
母ちゃんとずっと同じ体勢でいたかったのか、16週頃から逆子だった息子。
そして、張り続けるお腹。
そろそろ限界に近づいているかもしれません。。と先生に判断され、
少し早く36週と0日目に帝王切開で産むことが、もうすぐ35週になる頃に決まりました。
なんとか、なんとか、頑張れ、息子!
そして、保ってくれ、私のお腹!
とみんなで願い続けて
35週と6日目の夜。
私は入院後からつけ始めた自分の日記にこんなことを書いていました。
明日、世界が変わる予感がする...!
その予想は予定よりもだいぶ斜め上方向に変わっていったのでした。
出産当日
手術時間はおおよそ13時過ぎから。
術前の最後のシャワーを浴びて、血栓予防の着圧スパッツをよいしょよいしょと看護師さんに履かせてもらい。
コロナで面会NGだった主人と一緒に手術室の前へ。
「じゃ!いってくるわ!!」と入室。
長らく入院していたおかげで、手術室にいる看護師さん、助産師さんのメンバーは本当に馴染みのメンバー。
今から産むぞ!!!!!(寝ているだけども)というちょっとした昂ぶりのなか、あれよあれよという間に手術台の上へ。
手術中はそばについてくれている看護師さん・助産師さんと
めちゃくちゃおしゃべり。
こいつ、よく喋るな!と思われていたかもしれないけれど、
黙ってしまう急激に怖くなってきてしまう感覚があり、
なんでもないことをずっとお話ししていて。
息子、誕生。
実際は、生まれてくるときに、まだお腹の中にいるつもりだった息子はすやすやと寝ていたみたいで
先生が「起きろ〜〜〜〜!」と軽く背中をパンパン叩いて、息子起床し、産声をあげる。というちょっとしたハプニングもありましたが、
何事もなく産まれてくれました。
産まれてすぐに助産師さんが私の元へ連れてきてくれて、、
なんとも言えない感情でごちゃごちゃだった私は、ろくに声もかけてあげられず、息子を見て
「あぁぁぁ」と変な声を出すしかなかったのだけれど。
やっと、やっと、やっと、やっと、本当にやっと
産まれてきてくれた、よかった、産めたんだ
というホッと感でいっぱいでした。
私は後処理をしてもらっている間に隣で息子は助産師さんに綺麗にしてもらって、体のチェックを受けてパパの元へ。
後処理を終えてお部屋に帰る時に、
息子とパパの対面をしてくれた看護師さんから、
「赤ちゃん、めちゃくちゃパパそっくりだね!!!」と言ってもらって
ふふふっと思っていた私。
術前に、対面した時にたくさん写真撮っておいてね!そしてLINEに送っといてね!と主人に託したので、
もうちょっとしたらスマホで確認しよ〜と呑気に考えていたのだけれど。
少しして麻酔が切れてきて猛烈な痛みでスマホを触るどころじゃない!!
朝方、痛み止めを点滴から入れてもらって、
少し余裕が出てきた頃にスマホを確認。
私の父母弟の家族LINEを開くと、祝福と体調を気遣うメッセージが。
主人が私の家族にも息子の写真を送ってくれていたので、
息子の顔が主人に似ている!!と盛り上がっている中、
一番下の弟が、
「この顔、弟に似ている!!」と息子の寝顔の写真にコメント。
この時、ダウン症の疑いなど微塵も出ていない私は、
確かに似てるわぁ!!!さすが家族やなぁぁ!
とのほほんと思っていたのだけれど、
私の母だけが不穏な予感を感じていたのでした...。
次の日、まだまだ痛むお腹を抱えながら、車椅子に乗って赤ちゃんに会いに行く?と聞かれた私は
こっっっっんなに痛いのに車椅子のれるんかい!!!と思いながらも
即答で行きます!!!!と返事。
出産翌日
産んだぶりに息子と対面。
そこで看護師さんに、
たぶんまだ自分がお腹にいると勘違いしているのかミルクをあまり飲もうとしないこと
早く産まれてきちゃったからか呼吸がまだ下手っぴかもしれないということ
まだまだ活気がなくて、あんまり泣かないこと
を説明してもらい、
午後から総合病院の小児科の先生が診察に来るから、
その時に判断してもらうことになるけど
もしかしたら赤ちゃんだけ総合病院に搬送することになるかもしれない
と聞きました。
36週と早くに産むことになると決定した段階で
ある程度のお話は聞き、想定していたからか、
そうですか〜と落ち着いて話が聞けました。
その後、部屋に帰りゆっくり過ごしていると、
総合病院の小児科の先生からお話があります
と看護師さん。
こりゃ、息子だけ搬送して転院かなと心の中で思いながら、
先生のお話を聞いていると
「お母さんは、弟さんがダウン症なんですよね?」と問いかけが。
「はい、そうなんです。」
「どうですか?息子さん、弟さんに少し似ていると思いませんか?」
「はあ。確かに、、家族ですもんね〜」
・・・ん?
「確かにご家族なので、似ているということはもちろんあると思います。
ただ、お母さんもよくご存知だと思いますが、ダウン症の方はお顔がよく似ていますよね?」
「たしかに。そっくりですよね!」
「息子さん、弟さんと少し似ていませんか?赤ちゃんのお顔を見た時、どう思いましたか?」
・・・お?
「それは、、ダウン症ということですかね?」
「はっきりとはわかりません。
ただ、お母さんも詳しいと思いますが、ダウン症の方のお顔の特徴に当てはまるのと、四肢の緊張が弱くミルクを飲む哺乳力も弱いということ、首の後ろのお肉が少し厚めなので、可能性があるかもしれません」
「なるほど。。。」
まさかまさかのダウン症疑いのお話でした。
「ひとまず呼吸も不安定な時がありますし、哺乳力も弱く、
産まれてからあまりミルクも飲めていないため、うちの総合病院に搬送して、
NICUに入院して点滴と一通りの詳しい検査などをします。
このあと救急車を手配して、一緒に連れて帰ります。」
「そこで、染色体の検査も行いますか?」
「いえ、すぐに染色体の検査を行った方が良いというわけではないです。
急に言われてお母さんも戸惑っていると思いますから、
ご家族と相談されて心が決まってから染色体の検査で大丈夫です。
1ヶ月検診の時とかでも大丈夫ですよ」
とのことで、一旦納得しかけましたが、
「いえ、できれば早めに染色体の検査お願いしたいです!!!」
とその場でお願いをして、転院後早めに染色体の検査も行ってくれることになりました。
一旦納得しかけたのは、先生の言うとおり、家族で話し合ってからの方が良いかなと思ったから。
ただ私の中で、たくさんの子どもを見ている総合病院の小児科の先生が疑いを持っているということは、その確率が高いということだ...と思い
あやふやのまま過ごすことはできない、白黒はっきりつけたい。
ダウン症ならどんとこい!!!と思い直した結果でした。
すぐに主人、そして私の家族へ連絡。
転院の手続きなどもあり、主人はすぐに病院へ。
バタバタしている中、1人落ち込んでいたのは私の母で。
ごめんね。気持ち、一番わかる。
とのLINE。
ただ、
母よごめんなさい。
私は本当に落ち込んでいなくて。
というか、落ち込む暇がない!
ダウン症の疑いより何より、
ミルクを飲めないことの方が問題だし、
呼吸が安定していないということの方が大問題。
心のうちでは、
ダウン症でもなんでも良いから、
とりあえず呼吸が上手になって、ミルクをごくごく呑んでくれぇぇ
というのが正直なところでした。
ただ転院する先は、地域で一番大きいNICUがある病院で、
点滴で栄養も入れてくれるし、24時間管理してくれて何かあった時にすぐに対応してもらえる。
今の環境よりは、息子にとってベストな環境になることはわかっていたので、
息子に会えないのは寂しいけど、
母ちゃんも頑張るから息子も頑張ってくるんやで...!!!
という気持ちで、息子を連れて行く救急車の音を聞いたのでした。
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