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忍辱 第十場

■第十場
 その翌日の土曜日。午前11時。基本セット。外は曇り空で無風。蒸されているような不快な空気。上手奥には自動車が止まっており、車内に大杉、鈴木、木村がいて、唐玄を監視している。
 唐玄が玄関から出て、玄関扉の汚れを布でふきはじめる。監視員は、唐玄の登場に色めき立つ。木村はスマホで写真をとり、鈴木は大学ノートに唐玄の行動記録を書き込んでいる。唐玄はその様子をちらりと見る。慌てて視線をそらす監視員。唐玄は暗い表情。
 吹美果が現れる。左手には小さなゴミ箱。右手にはゴミ収集の半透明ビニール。
吹美果 「お父さん!? 」
唐玄 「なんだ、大きな声で。」
吹美果 「これなに? 書斎のゴミ箱。 」
 絹代はゴミの中身を唐玄に見せる。血が乾いて茶色に染まったティッシュがいくつもある。
吹美果 「血の付いたティッシュがこんなに! 」
 監視員は顔を合わせる。木村は再びスマホで、なんとかゴミを写真にとろうとする。鈴木は大学ノートにこのことを書き込んでいる。
 吹美果が監視員の車に気づき、父の耳元に小声で。
吹美果 「お父さん、あそこの車。」
唐玄 「わかってる。」
 二人は表情を硬くして家の中に戻る。
 省吾が、自宅の玄関から出る。スロットに行くのが目的。蒸した空気が不快で、頭をしかめ、髪をぐしゃぐしゃと掻く。ふと監視員の車が目に入る。車内は、先ほどの一件で興奮し、小声でしゃべりつづけているが、省吾の視線に気づき、無言になって目をそらす。
 そのよそよそしい感じにいらついた省吾はつかつかと車に近づき、声をあげる。
省吾 「おい、何してるんだ? 」
 監視員は慌て、焦り、車のエンジンをかけてしまう。
省吾 「逃げんのかよ! こら! 」
 逆上した省吾は、ドアを開け、右腕で大杉の首元をつかみ、車内から引きずり出す。
省吾 「おい! ここで何してたんだ! おい! 」
  鈴木が悲鳴をあげる。
鈴木 「乱暴はやめてくださいな! わたしたちは町内会の仕事をしているだけです! 」
省吾 「ざけんな。ちゃんとした仕事なら、なぜ逃げんだ!? 」
  騒ぎに、未来と、唐玄が駆けつける。
唐玄 「離してあげなさい。この人たちは、あなたとは関係ない。わたしを見張ってるだけなんです。」
 監視員は、自分達の監視が唐玄に知られていたことに驚く。
 そこに、カメラのシャッター音。誰もそれには気づかない。
唐玄 「手を離しなさい。」
 常になく威厳をもって言う唐玄。省吾は力が抜けたように手を離す。地面に倒れる大杉。 
 唐玄は大杉を助け起こそうとするが、大杉はその手を払い、車の中に戻る。
 唐玄は、暗い表情で、自宅の玄関前に歩いていく。それを追う未来。
未来 「あの、わたしお隣の富田未来です、こちらは夫の省吾。‥あの、どういうことなんでしょうか? 見張られてる? って? 」
 唐玄は立ち止まるが、未来を見ない。省吾が唐玄に近寄る。
省吾 「あんた、イジメにでもあってんのか? 」
 唐玄は一礼して自宅の中に入ろうとする。
省吾 「けっ、ストレスは自分の腹にため込む性格か? そうなんだろ? 」
 立ち止まる唐玄。
省吾 「まあ、どーいう性格だろうと、俺の知ったこっちゃないけどな。‥そうやってため込んで何になる? 何にもなんねーじゃん。そのうち自分の心が音をあげて、爆発しちまうぞ。」
 唐玄は無視して自宅に入る。
未来 「一体なんなの? どれもこれもさっぱりわかんないんだけど? 」
省吾 「‥俺が子供の時、家は金持ちになった。」
未来 「え? それも何? 」
省吾 「ゲームとかおもちゃとかいくらでも持ってた。子供だからそれをついクラスのやつに自慢しちまって。‥やっかみ、嫌われ、イジメ。‥よくあるパターンだ。」
未来 「‥初めて聞いた。」
省吾 「俺もそのころは気が弱くてなあ。ランドセルをカッター傷だらけにされたり、ペンケースを泥だらけにされても耐えてたけど、ある日ついに爆発しちまって! ‥まあ暴れた暴れた! ガラス窓にヒビ入れて、照明割って、黒板もズタズタにしてやった。‥そんでイジメはなくなった。でもその代償として、友達もできなくなった。遠足でも運動会でも俺はぽつんと一人。教師も怖がって近寄らねえ。‥へっ! これって俺のせいなのかねえ? ‥イマイチ納得できねーけど! 」
 若干の間
未来 「中学でも荒れ放題だったあんたに、わたしは近づいた。」
省吾 「どうしてだったっけ? 」
未来 「お金目当て。」
省吾 「最低だな。」
未来 「貧乏だったから。毎日毎日、今日は何か食べられるんだろうか、ってことばかり考えてて、この先ずっとお金なかったらどうしようって、不安で自分の心が爆発しちゃいそうで。‥お金さえあれば、何でも食べられる。」
省吾 「結婚したのも、金目当てだよな? 」
未来 「‥わたしはあんたを出しにして、不安を消した。おかげで、爆発からは逃げられたけど。あんたの言うとおり、わたしは最低。」
省吾 「お互い様だ。‥俺は、孤独の恐怖で自分が爆発しちまわないように、お前と結婚した。金目的なのが、ちと気に食わねーが。見せかけでも、誰からも気にかけられないよりはマシだかんな。」
未来 「‥うそ。‥なんでわたし? ‥ちゃんとあんたの心と向き合える人、探せばいくらでもあるじゃん! 」
省吾 「探すう? 今からか? ‥けっ! 面倒くせえ! お前で我慢するよ。‥あー帰ろ帰ろ。スロット当たる気しねえわ。‥帰ったらさっさと飯作れよな。」
未来 「‥さっきの人、爆発しないといいね。」
省吾 「もうしてる可能性もあんぞ。見えねーのがややこしいんだよなあ、こればっかりは。」
 家に戻ろうとする二人。車の中の監視員は首をすくめる。省吾は監視員を睨みつけ、何か言おうとしたところに、未来が省吾の腕を強く組み、自宅玄関に向う。大人しく未来と歩く省吾。
省吾 「一人にしないでくれ。頼む。」
 未来は驚いて省吾の顔を見ると、背中を優しく撫でながら、二人で家に戻る。

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