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【読書記録】居るのはつらいよ

おすすめ度 ★★★☆☆

自伝的エッセイだと思って読んでいたら、どうやら学術書だった。
精神医療のケアとセラピーについての話だけれど、自分ごととしてあてはまるところがあって、興味深い。

序盤は書き方のクセがどうにも合わず、読むのを挫折しかけた。
延々と続く自虐ネタやオヤジギャグでひたすら脱線する。多分合う人は楽しく読めるんだけど、好みが合わないとしんどい。

ただ後半は、中核であろうケアについての洞察、精神医療や福祉の現状や課題について踏み込んでいて、面白かった。
私は後半くらいの真面目さがちょうどよかったのだけど、ドタバタデイケアの日常があるからこそ、真面目な部分に説得力がでてくるのかな。

以下、印象に残ったところの備忘録。

ケアとセラピーの違い

ケアは、日常や生活に密着した援助のあり方で、セラピーは心の深層に向き合っていく心理療法と言われるもの。ケアは「傷つけないこと」が最重要とされる。セラピーは「傷に向き合う」ことを重視する。なるほど。
セラピーのほうが専門性が高いため、上のように扱われるし、著者もそう思っていた。デイケアで心理士として働きながら、その考えが少しずつ変わっていく。

ケアは依存労働

デイケアは、積極的に療法を行い困りごとを解決するというよりは、精神疾患を抱える人が日常を日常として送るための場所。「居る」ができるようにする。
日常を支えるためのケアは、子どもを世話するお母さんに近い。誰かの依存を引き受ける、依存労働だ。依存労働は専門性が低い(何でも屋)なので、要求水準が高い割に、賃金が安い。
自立を良しとする社会では、依存していることが見えにくくなるから、依存労働の価値は見えにくくなる。
会社員の夫が、専業主婦の妻に掃除、洗濯、食事などの生活を依存していてもその価値が見えにくいのが良い例だ。

これがケアとセラピーの上下関係にもつながる。小児科医と、保育士の給料の差。老後の資産運用をするファンドと、介護の給料の差。
ケア労働の重要性は、コロナ禍で再認識させられたように思う。エッセンシャルワーカーは誰なのか、どれだけ価値のある仕事をしていたのか。
それが賃金に十分に反映されないまま、うやむやになっている気がするけれど。

ケアとセラピーはライバルではない

著者自ら突っ込んでいるが、ケアとセラピーははっきり二分され、対立するものではない。

というか、僕があえて二人はライバルみたいに書いたからしょうがないんだけど、それはあくまで比喩です。だって、「ケアとセラピー」は仕事の種類ではないからです。デイケア室でなされているのがケアで、カウンセリング室にあるのがセラピーというわけではないんです。(中略)
「ケアとセラピー」は成分のようなものです。人が人に関わるとき、誰かを援助しようとするとき、それは常に両方あります。

そう考えると、ケアとセラピーは精神医療の世界だけにあるものではなく、家庭にも社会にもあることに気づく。

明らかに仮病を使っている我が子に対して、休ませてあげるか、行かせたほうが良いか、迷うわけです。依存を引き受けるか、自立を促すか、そういう問いは僕らの人間関係に満ちあふれています。

なるほど、とても説得力がある。子育てに限らず、夫婦や友人関係、職場の人間関係でもケア的なものとセラピー的なものがある。
その都度の判断で、臨機応変に対応していくことが求められるし、それが社会で生きていくことなんだろう。

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