全米男性会議 と フレッド・ヘイワード(2)【第1回全米男性会議のこと】

シリーズ『全米男性会議とフレッド・ヘイワード』の第2回です。

下村満子さん による 『男たちの意識革命』(朝日文庫,1986年)の中に収められている、『おれたちは女のための “カネ生み機械” じゃない』(pp.155~168)の内容を紹介していきます。

※ 過去記事(未読の場合、ぜひ併せてお読みください!)

女性運動が非常に活発化していた1977年、ヒューストンで全米女性会議が開かれました。『男たちの意識革命』の著者である下村さんも、その取材へ出かけたのでした。そして、それから4年経った1981年、今度は全米男性会議が同じヒューストンで開かれました。
そのことを下村さんは、こう記しています。

だが、それから四年後、その同じ土地ヒューストンで、「男のほうこそ、しいたげられた存在なのだ」と訴える男たちが、これまたアメリカの歴史に残るであろう「全米男性会議」を開き、「男の解放」を叫ぶことになろうとは、当時の私には想像もできなかった。
その想像もしなかったことが起こったのである。

さて、ここからは、全米男性会議に関して、3つの問題を提示していきます。ぜひ、予想を立てながら読んでみてください。

【 問題1 】
1981年6月に開かれた、第1回全米男性会議にはどのくらいの人が集まったと思いますか?
予想してみてください。

ア.10人くらい
イ.数十人くらい(たとえば50人)
ウ.数百人くらい(たとえば200人とか500人とか)
エ.数千人くらい(たとえば2000人とか5000人とか)
オ.もっとたくさん

どうしてそう思いましたか?

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さて、『男たちの意識革命』で下村さんが記しているところによれば、

一九八一年六月十二日。ヒューストンの空港近くにあるヒルトンホテルのロビーには、 早朝から一種の興奮と緊張がみなぎっていた。テレビカメラや報道陣のつめかける中を、 全米各州から男の代表たちが続々と到着。その数は、やがて 数百人 に達した。

となっていますから、【 問題1 】の答えはウです。
現在、衆議院議員が500人弱,参議院議員が250人弱となっていますが、それと同等くらいの人たちが、この会議に集まったことになります。

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【 問題2 】
1981年当時、アメリカ全土には、男性差別に抗したり男性の権利を主張したりする団体等は、いくつくらいあったと思いますか?
第1回全米男性会議で配布された一覧表に載っている団体の数で考えるものとします。

ア. 30くらい
イ. 70くらい
ウ.120くらい
エ.250くらい
オ.400くらい
カ.その他(     )

どうしてそう思いましたか?

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『男たちの意識革命』には、以下のとおりの記載があります。

「アラバマ州父親連合」「アメリカ父権連盟」「男性差別反対連盟」(ニューヨーク州) 「平等と公正を要求する父親統一戦線」(フロリダ州)「離婚男性統一連合」(ニューメキシコ州)「公正な離婚法を勝ちとるために闘う男たちの集い」(ペンンシルベニア州) 「再婚者の権利を守る会」(フロリダ州)「離婚したカトリックの男たちの集い」「行動を起こす離婚した父親たち」「子供のために闘う父親たち」(マサチューセッツ州)「“自由な男”連盟」(メリーランド州)「男の権利連合」(オハイオ州)「いま、男の平等を考える会」(ミネソタ州)「シングル・フアーザーのライフスタイルを考える会」(アリゾナ州)「父権回復連帯」 (カリフォルニア 州)。エトセトラ、 エトセトラ。
当日配布された一覧表によると、こうした「男の権利を守る会」は、全米に 二百五十あまり ある。

というわけで、【 問題2 】の正解はエでした。30年前のアメリカには、マスキュリズムあるいはメンズリブの団体が、250もあったのですね。

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【 問題3 】
1977年に開催された《 全米女性会議 》は、連邦政府から 500万ドル の資金援助を受けて開催されました。
では、1981年に開催された《 全米男性会議 》は、連邦政府からどのくらいの資金援助を受けたと思いますか?

ア.   0ドル(資金援助は受けられなかった)
イ.  5万ドルくらい(女性会議の100分の1)
ウ. 50万ドルくらい(女性会議の10分の1)
エ.250万ドルくらい(女性会議の半分)
オ.500万ドルくらい(女性会議と同額)
カ.その他(     )

どうしてそう思いましたか?

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『男たちの意識革命』によれば、

しかし、 全米女性会議が、連邦政府から五百万ドルもの資金援助を受けて華々しく行われたのに対し、 全米男性会議は、一文の政府援助も受けることができなかった。当日集まった 男たちは、みな自腹をきってやってきたのである。

と書かれているとおり、全米男性会議は連邦政府の資金援助を受けることはありませんでした。したがって、問題3の正解はアとなります。
これは執筆者である僕の主観ですが、このような差異にも男女の非対称性が見受けられると思います。資金援助を受けることができるのが女性という性であり、資金援助を受けることができないのが男性という性なのです。

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さて、そんな第1回全米男性会議で基調講演をしたのが、フレッド・ヘイワードさん(当時35歳)です。
フレッドさんはハーバード大学で国際政治を学び修士号を取得した人で、当時はボストンの大学で講師として教鞭を取っていました。彼は1977年(奇しくも全米女性会議が開かれたのと同じ年)に、《 男の権利協会 》を設立しており、アメリカの男性運動のリーダー的な存在でした。
フレッドさんの活動の中心は、政治を専門とする彼らしく、男性差別的な法律や制度を改めていくことにありました。1981年時点で、マサチューセッツ州議会へ8つの法案を提出し、そのうちの3つが勝利をおさめたといいます。

『男たちの意識革命』には、生命保険と自動車保険の掛け金の例が記されています。
当時のアメリカでは、男性の平均寿命が女性よりも七年七ヵ月短いという統計を根拠に生命保険の掛け金を男に割高に定めており、男性ドライバーの事故率が女性より高いことを理由に自動車保険も男性は自動的に高く払わねばならない仕組みになっていました。
要は、「男性である」という理由で一律に高い掛け金を支払わせるような制度が、生命保険においても自動車保険においてもとられていたのでした。
フレッドはこのことについて、
「男性の平均寿命が短いのは、生物学的差異からきているのではなく、男性がそれだけストレスの高い生活を強いられているからにすぎない。また寿命というのは個人差が大きく、性差できまるものではない」
と主張し、是正する法案を提出したのでした。
結果的にこの主張は認められ、州内の保険会社には「掛け金の男女差を撤廃するように」という通達がなされました。

フレッドはこれ以外にも、「離婚した父親の共同養育権」,「女性から男性への慰謝料支払い義務」,「徴兵制度の女性への平等適用」などを主張し、法律の改正案を提出していたといいます。

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今回はここまでとします。

次回は、フレッドのライフヒストリーに目を向けてみようと思います。
彼が男性運動に尽力するようになったのには、相応の体験があったのです。ここに着目することで、フレッドがなぜ男性運動に熱心に取り組むのかが見えてくると思います。また、それだけにとどまらず、男性問題そのものの考察にも役立つと考えています。


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