大雑把な〈適材適所〉としての性役割が、外れ値的な男性を苦しめている

まず、以下の Tweet をご覧ください。

前提として、学校において力仕事を生徒へ頼みたいというシチュエーションにおいて以下の議論を考えてください。
もへもへ氏は、
 (A) 男子こっちにきてくれるー
 (B) ちょっと重いけど手伝ってくれるー
の2つを「どっちでもいい」と述べ、それに対して私は、前者と後者では大きく異なると述べました。(A)のように男子を一括して呼んで力仕事を命ずることは、〈並の女子よりも非力な男子〉 への苦役の強要につながる可能性があります。(といいますか、実際にそういうことが多発しています) 
そのような非力な男子は外れ値的ではありますが、無視してはいけません。例外を認めず、一律に「男だから◯◯しろ」と強いるのは暴力的です。
確かに、もへもへ氏の言う通り、(A)をやった瞬間に「差別主義者で間違った価値観の人物として糾弾謝罪させられる」のは行き過ぎだと私は思います。しかし、(A)は 〈並の女子よりも非力な男子〉 の存在を必ず念頭に置いた上で行われるべきであると強く主張したいです。

〇 「僕は体力(筋力)が無いので、別のことで貢献しますね」と、その男子が臆せず申し出ることができる。 
〇 それにより周りから嫌な顔をされたり糾弾されたりしない。 

この2つが確実に担保された環境でなければ、(A)は控えるべきだと私は考えます。
教師と生徒という人間関係の場合、生徒は教師に対して申し出ることができるのかということも考えなければいけません。難しい場合も多いはずです。きちんと個々の生徒を見て、非力な男子には「〇〇君は代わりに△△をやってね」等と適切な支援をできる教師ならば、(A)の言い方をしても大丈夫だと考えます。しかし、残念ながら、実際にはそうでない教師が少なくないような印象があります。
(職場等における上司と部下で置き換えても、同様のことがいえます)

男性のほうが体力や筋力が強いというのは、傾向としては正しいです。それで、力仕事や体力を要する仕事を担う人に "結果的に" 男性が多くなるのは自然だと思います。ただ、あくまでも 〈適性のある人に割り振った結果、男性が多くなった〉 ということであるべきです。

性別でなく、あくまでも、適性で決めるべきです。

「男性の方が体力や筋力が優位なのだから、男性が力仕事や体力を要する仕事を担うのが適材適所だ」と言う人たちが、この社会にはたくさんいます。
これが、〈男性だから力仕事や体力を要する仕事を割り振る〉 だったら明らかに間違っています。虚弱非力な男性に力仕事や体力を要する仕事を割り振ることは、適材適所に真っ向から反します。適性の無い彼らを苦しめ、効率を損ね、リスクも高まるので、基本的に良いことが無いはずです。 

傾向みたいなのはあるにせよ、「男性だから」で一律に押し付ける(強要する)のも逆にやらせない(禁ずる)のもジェンダーハラスメントになり得ます。男性属性内の多様性に目を向けて欲しいです。

旧来の性役割は、良く言えば男女の役割分担(男女各々のステレオタイプから外れた存在は無視した大雑把な適材適所)であり、悪く言えば男女間で互いに搾取しあう関係であるように私には見えます。そこで無視された男性や女性は、苦しいことがあります。社会に柔軟性が欲しいです……。

この記事はマスキュリズムの論考であるため、男性・男子へスポットを当ててきましたが、もちろん女性・女子においてもまったく同じようなことが発生しています。
以下にそれに関する Tweet を掲載しておきます。


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