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夢を追って輝いている人を見ると、ちょっと苦しくなる
私は、「夢」というものに対して、ここ数年よく考えることがあります。
ここでいう「夢」は、「これでご飯を食べていく」という方の、です。
今までの自分を振り返りながら、今回のタイトルにもなっている、「夢」についての最近感じていることを書き留めていこうと思います。
お時間ある方はぜひ。
本当にやりたいこと、ではなかったかもしれない
私はまだ20年と半年くらいしか生きてきてないのですが、その間にもいくつか「夢」(だと思っていたもの)を持っていました。
幼いころの、働くことと直結しない夢は別にして、「これを仕事にしたい」と思ったものを思い返してみると、目指していた期間が短かったものも含むと多分、6個くらいあります。
中学2年生のときに初めて仕事としての夢ができたのですが、そこから現在の大学3年生の約8年の間にも、夢はころころと変わっていきました。
その中で全力で叶えようと動いていたのは1つくらいで、それも結局はどこかで苦しくなって、どれも途中で「やっぱり厳しいよな」と思って追う足を止めてきました。
最近、自分が夢を転々としてばかりいたことに気が付いて、「もしかしたら、今までの夢って『見つけなきゃ』って無意識で思って無理して見つけていたのかもしれない」と思うようになりました。
もちろん、何かの目標に向かっているときに得られたことはたくさんありました。
前に比べて絵を描くことが好きになれたのは、過去の自分が目指した夢のおかげでもあります。
それでもやっぱり、やりたい仕事を見つけないといない強迫観念みたいなものはあったと思います。目標に辿り着かなかったことの負け惜しみかもしれないですけどね、うっ現実が。
そんな過去の振り返りを経て、これからは、もう無理して夢を見つけるのは止めようと思っています。だから、今の私には、具体的な夢というものがありません。
無理をしなくなったことで、気が楽になった部分もあるのですが、一方で、ある後ろめたさを感じるようにもなりました。
俳優さんの「夢に向かうまっすぐさ」
個人的なことになるのですが、私はドラマや演劇が好きで、その延長で俳優さんについて調べることが多いです。
好きな俳優さんたちを応援していると、自然とその方たちの「俳優を目指した理由・きっかけ」を知る機会が増えます。
先ほど書いた「後ろめたさ」を感じるのが、この部分で。
もちろん、一人一人きっかけは違いますが、なんとなく感覚として、
「自分からオーディションを受け続けてました。」
「俳優を目指し始めてからはアルバイトと稽古を繰り返す日々で、寝る時間が全然なくて。」
「それでも諦められなかったから食いついて、でもなんだかんだ楽しかったんですけどね。」
「お芝居することがとにかく好きだったので。」
という話をされている方が多いように感じました。
そういう話を聞く度に、その方たちがすごく格好良くて、輝いて見えるのです。実際、たくさんの人に応援してもらって、次々にお仕事をされている今でも、本当に楽しそうに活躍されている方は、とても素敵です。
普段遠い存在に感じる俳優さんの考えていることや昔の経験を知ると、当たり前だけど「同じ人間なんだな」と思えて、好きなんです。
でも、そういう話を聞くほどに、今の「明確な夢もなくて、少しやってみたいと思っても自分の背中を押してあげられない」自分が浮かび上がってきてしまうんです。
焦って見つけた夢は、きっとまた飽きて最後まで追い続けるのを止めちゃうだろうし、人がやりたいことを見つけるのはそれぞれのタイミングがあって、早い人もいれば遅い人もいるはずで。
私はそのうちの遅い方かもしれないし、いつ何がきっかけになるか分からない。だから、今できること、今楽しいことをやってみたい。やっているうちに夢中になれるものがあればいいし、小さい興味から広げていければいいな。と思っています。
無理なく、ゆるさを持って生活することの楽しさも知りました。
ただ、たまに、「大変な思いをしながらも、それでも好きで続けていたら、今でも好きなことを続けられている」とキラキラ話している方の姿を見るのが苦しくなったりもします。
一概に俳優さんの気持ちや経験を括ることはできないけれど、今に至るまでの間に、「すごく孤独な時間も、傾斜80°の山を登り続ける苦労も思いきり経験してきた」方が多いように感じます。
今の私には、そこまでして立ち向かって踏ん張る勇気もなくて、どんなに苦労があっても楽しいはずだと思える夢も見つかっていない。苦しむことも怖い。
と思っているのが現状です。
あの方たちみたいに、全身全霊で挑めるほど必死で、そして楽しいと思えるものに出会って、やりたいことに真っ直ぐ進んでいけたら。
という気持ちはあるけれど、現実の自分はゆっくりしか進めない。だから、画面の向こうの方たちがますます眩しく映るんだと思います。
ちょっと話が堂々巡りしているかもしれませんが、頭の中を整理するためのぐるぐるなので、お許しください。笑
こんな感じで、「自分のペースでいい」と、「夢中になりたい」という気持ちが同じくらいの強さで引っ張りあっていて、振り子みたいに気持ちが行ったり来たりしているんです。
絶対正しい道なんてなくて、自分は自分、他人は他人なんだから、焦らずに行きましょ〜。という気持ちは前に比べて芽生えてきてはいるのですが、そう簡単に、本当の意味で考え方をひっくり返すのは難しいよなあ、とつくづく思います。
「夢」を巡って振り子にぶんぶん振られている最中なのですが、「夢を追う」ことを目的にして、無理をして決めつけちゃうのは、やっぱりそれじゃ前と変わらないからしたくないんです。
やりたいことは、そんな風に強引に見つけるものではないはずだから、たぶん。
自分への「辛い」を
相手への「尊敬」に
この悩みについてはまだ全然処理しきれていなくて、今の自分のままで大丈夫だと吹っ切ることもできていません。
だから、自分なりの答えもまだ出ていません。
これから先、色んな人と関わったり、経験をする中で、「このままのペースでもいいかもしれない」もしくは、どこかで夢中になれることに出会って「これだったんだ」と思えたら、この気持ちの処理が進むかもしれないです。
だからしばらくは、俳優さんに限らず、今を輝いて生きている人に対して「すごいなあ」「いいなあ」と、遠くから思うことしかできないかもしれません。
何度も書きますが、今輝いて見える人にも、そのときそのときで他の人には分からない辛さがあるんだと思います。そして、辛さだけじゃなくて楽しさも。いわゆる「下積み」と言われる時代にだってどちらもあったはずです。
それに、輝いている人は、「今」現在進行形で輝いているから、「こういう過去があってこその今なんだな」と傍から見ると感じ取ることができます。
でも、現在進行形で道の途中にいる私には、「大丈夫大丈夫、未来は明るい!」なんてどうしても思えません。
今は輝いている人だって、過去には、「未来の自分が夢の先で楽しく生きていること」を確信できなかったり、私の同じように、やりたいことが分からなかったりして、不安だった時期もあったかもしれない。
私はその中のキラキラした一部分を拾って拡大して見ちゃっているんだと思います。
あと、誤解はしてほしくないのですが、私はそういう輝いている人たちがすごく好きです。その人たちから、がんばる力をもらったことも沢山あります。
苦しさだけを受け取っているわけでは全然ないです。
まだ、すっきり解決することはできないけれど、輝いている人に対する「すごいなあ」「いいなあ」という気持ちの中にある、自分に向けられた「辛い」成分の少しが、時間が経ったときに、純粋な相手への「尊敬」に変わってくれていたら嬉しいです。
ここまで色々書きましたが、そう思えるようになるために今できることは、やっぱり一周まわって、目の前にあることにちゃんと向き合うに尽きるのかも知れませんね。
まとまりのない文章になってしまいましたが、最後まで読んでくださってありがとうございました。
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