僕とあいつの奇妙な教員生活 第二話 裏
ぼくは、野田弘斗。
ぼくってほんと、ダメなやつなんだ。
「野田浩人の落胆」
ぼくは今日も、先生に呼ばれてる。
「『忘れた計算の宿題を明日持ってきます』 って、自分で言ってたよな? 先生、その言葉、忘れてないけど」
まばたきもしないその目は、ぼくの罪を明らかにするエンマ大王のようににらんでいる。
その様子を確認したら、ぼくはすぐに視線をそらした。
ぼくが言ったはずのその約束を、ぼくは学校に来てランドセルを開いてから思い出した。
こういうときの新橋先生は、こわい。
ピリピリしていて、まるでぼくのママみたいになる。
いや、こういうときだけじゃないかもしれない。
新橋先生は、いつもぼくの前ではピリピリしている。
ぼくが何も言えずに固まっていると、先生は問題集を指でたたきながら、さらに強く「何か言うことは」と問い詰めてきた。
何も、言えることなんかない。
言ったらまた怒られるだけ。
言ったからといって、宿題が終わるわけでもない。
ぼくはこんなときはいつも、貝になるしかないんだ。
だって、何を言えばいいかもわからないんだもの……
そんなことを考えている間に先生のボルテージは上がっていく。
こうやってぼくは、人をイライラさせてしまう。
「……できるの? もう何っ……回も言ってるけど! 毎回同じじゃん。 あなたの言葉を、もう先生は信用できません! 何度も忘れるってことが先生は許せない!」
雷の閃光みたいな言葉が、教室中に響き、僕は思わずびくっとした。
「先生は今、あなたはどうにもならない嘘つきだと、そう思ってます」と、重く、にぶい光を放つ金属のハンマーのような言葉がガツンと振り下ろされ、ぼくは思わず視線を落とした。
先生の目には、がっかりやイライラ、いろんな気持ちがまざっていた。
それは僕も同じだ。
うそをつきたいなんて、思ってない……
そして、やはりぼくは何も言い返せない。
ぼくの言葉は、心の中に浮かんではすぐに消えていく。
何を考えていたかも、言った言葉も、どうせすぐに忘れてしまう。
うそつきだって言われても仕方がない……
黙り込むぼくに、先生はあきらめたのか「……もういいわ。 休み時間全部使ってやること。 遊びに行くなよ。 行けるのは全部終わってから」と言って、机の上の問題集を「はい、どーーぞ」ぼくの前に乱暴に置いた。
ぼくはそれを無言で受け取り、席に着いた。
周りのみんながぼくを見ているのがわかる。一応問題集を開いてみるけど、正直授業でも分からないのに自分一人で解けるわけもない。
しばらくすると先生は、ズカズカと教室を出ていった。
「ふぅ……」嵐が去り、僕はやっと一呼吸着いた。
「ちょっと野田。宿題くらいちゃんとやれよー」と前の席の上野君が振り向きざまにニヤニヤしながら言った。
「はは……」ぼくは苦笑いだ。
「お前、家で何してんの?」
「ゲーム……」と適当に答える。
「先やっとけって~」と上野君は僕の机を軽くたたきながら笑う。
「ぼく、すぐ忘れちゃうんだよね……」
「たしかに! お前ほんと忘れっぽいよなぁ」と上野君は僕の気も知らないで軽快に笑う。
その通り。ぼくは本当にすぐ忘れちゃう……
「はは……」
アイソ笑いはできているだろうか。
「いや、ほんとにちゃんとやってよ」
左どなりの机に腰掛けて鋭い横やりを入れてきたのは、橋本さんだ。
彼女はとてもストレートな言葉を使う、強い女の子だ。
「毎日、あの雷みたいな声を聞かされる身にもなってよね。空気めっちゃ悪くなるじゃん。あれが嫌で学校にこれなくなるやつもいんのよ」
その言葉が意味するのは、きっと最近学校に来ていない神谷さんのことだろう。橋本さんは、神谷さんと仲が良かったから。そんな理由だったのか。もしかしてそれって…… ぼくのせいなのかな……
「うん。ごめん……」
目をふせ、ぼくは巻末にはさんでいる解答をだし、問題の答えを書き写し始めた。
この20分休みで終わらせなきゃ。
3分前の予鈴が鳴っても、まだ答えを書き写していたぼくは、本鈴ぎりぎりになって算数の準備をし始めた。みんなはもう席について、話をしている。
「あれ?」
算数の教科書はあるのだが、ノートが見つからない。
あせって机の中を探すけど、ない。
そして、チャイムが鳴った。算数は新橋先生の授業だった。
「ランドセルの中は?」と誰かの声が聞こえる。
そこもない。
机の中、ランドセル、後ろの本棚。探しても探しても見つからない。
冷や汗が出てきた。みんなの視線が痛い。心臓の音がどんどん近づいてくる。
急いでもう一度、机の中を探しに行く。
「ノートないなら、それを言って、後ろの棚のノートのコピーを使う」
先生の鋭い声が教室に響く。
しまった。またやってしまった……
ぼくはおずおずと先生の前へ行く。
といっても、相変わらず先生の目の前に立つと、考えていた言葉はのどの奥に引っ込んでしまう。どうにか引き出そうとして手を伸ばしても、なかなかその手をにぎってくれはしない。
ぼくのもじもじしている姿にしびれを切らしたのか、先生は「え? いや、だから 『忘れました。 貸してください』 って、言うの」とせかした。
「ノートを忘れたので……貸してください……」
ぼくはのど奥に引っ込もうとする言葉なんとかしぼり出した。
先生は、あきれ果てたため息をつき、「どーぞ」と教室後ろの棚を指さした。
ぼくはそそくさと棚まで行き、ノートのコピーをとって席に着いた。
授業は何事もなかったかのように進んでいった。
分かりもしない、発言もしない、ノートを写すだけの授業が終わりそうなとき、ぼくはあることに気付いてしまった。
この時間で学んだことをまとめる「まとめ」のところに書いてある言葉が間違っているのだ。ぼくでもわかる。
なんでみんな言わないんだ。
「せ、先生。 『め』が、抜けています」
ぼくは黒板を指さして、そのミスを伝えた。
こんな時だけは、なぜかそんな言葉が口を飛び出す。
ノートを書いていた周りの人たちが「何?」といっせいに僕の指さす方を見た。
「あ、ほんとや」と笑い始めるみんなを見て、ぼくは自分が注目されたかのように嬉しくなった。
先生はというと、少し恥ずかしがっているように見えた。
すばやくその黒板を消して書き直し、「なんでもない。すぐ書き写しましょう」と冷たくその場を制した。
笑っていた子もすぐやめ、いつもの静まり返った空気に戻った。
不安になった。
ぼくはまた、先生をイラつかせてしまったのだろうかと。
「弘斗、洗濯物取り込んでくれたー?」
1階からママの声が響いてきた。
ぼくは急いでマンガをぱたんと閉じて、ベランダに飛び出した。
先ほど頼まれた洗濯物の取り込み。
2階のお兄ちゃんの部屋を通って、ベランダに行くとちゅうに気になるマンガが置いてあった。
部屋の中の時計は、18時10分。
マンガに目をうばわれたぼくは、かれこれ15分も立ち読みしていたらしい。
ぼくは、こんなことがしょっちゅうある。
ベランダから外を見ると、ぼくの団地の向こうの公園でだれかが遊んでいるのが見えた。
だれだろう。
斜め向かいの家には庭にたくさんのおもちゃが散らばっている。
片付けてないなぁ。
あのお水鉄砲。使ってみたいなぁ。
ゴミ捨て場にカラスが集まっている。
何かあるんだろうか……
「弘斗ぉ!?」
はっ……!
いつの間にか手が止まっていた。
あわててバタバタと洗濯物を取り込む。
この世界には、気になるものがたくさんあって、どれも気になりすぎる。
ぼくは、そのたびにやることや頼まれたことを忘れてしまう。
でも、一度だけほめられたこともある。
ぼくは、ハチの巣を見つけてしまうのだ。
体育館の二階の窓。
みんなには網戸で隠れて見えなかったみたいだけど、ぼくはすぐわかった。だって "気になった" んだもん。
教頭先生が「すごいな!才能だな!」って言ってくれた。
この団地の近くにもある。たしか……
「弘斗ぉお!? ちゃんとやってるー!? 手ぇ止まってないー!?」
ママの大声が外にまで響いてきた。
まただ。
これが多分、いろんな人をいらだたせる。
ママに、先生に、友達……
ぼくは急いでかごに洗濯物を突っ込み、1階におりた。
1階ではママとパパが、晩ご飯の準備をすませて、テーブルについていた。
「洗濯物を取り込むのにどれだけかかるの! まったく……」
ママのいつものため息を聞くと僕の心は暗くなる。
ママにため息をつかせているのはぼくだ。
「義斗みたいにさっとできないもんかね」
そして5歳年上の高1のお兄ちゃんと比べる。
お兄ちゃんに比べて、ぼくは出来損ないだ。
パパはいつも通り、黙ってご飯を食べ続ける。
ぼくのことには興味がないのかな。
「それより弘斗。勉強はちゃんとやってるの? 宿題とか出してる?」
はっ……
今日、先生に怒られたばっかりだ…… もうやるの忘れてた……
「うん…… やってるよ……」
「そう。あんたも義斗みたいに "やればできる" から。頑張りなさいよ。いい学校いけないわよ」
ママはそう言ってまたお兄ちゃんと比べる。
ぼくに行けるところなんてあるのだろうか……
「……ママ。そうきつく言うな……弘斗は弘斗だ」
いつもは何も言わないパパが割って入ってきたので、ぼくもママもすこしびっくりした。しかし、パパはそれ以上しゃべらなかった。
「でも……」ママは口ごもったが続けた。
「あんたのこと、心配してんのよ?」
「うん……」
そういうママの心配は、何を心配してるんだろう。
ぼくの未来?
ちゃんとできないと生きていけない?
お兄ちゃんみたいにちゃんとできないと恥ずかしい?
それともママは、ぼくみたいな子がいて恥ずかしいのかな……
考えれば考えるほど、わからない。
かといって、ちゃんとできる気もしない。
ちゃんとしたいと思っても、それすらも忘れてしまう。
もう早く寝たい。
次の日
朝は相変わらず急いでいた。
机の上に出しているもの全部突っ込んで、家を飛び出してきた。
学校に着いて、体が凍り付いた。
付箋だらけの問題集を家で開いてもいないという事態は、朝の準備をしている時に気がついたからだ。
結局あのあと、風呂に入ってから、えっと……何してたんだっけ……
あっ、机の横にあったマンガを読んで寝たんだ。
昨日の休み時間には、絶対やってこようと思ったはずなのに、その気持ちもやるべきことも、全部気になるものに塗り替えられていく。
ほんとに……
ぼくはダメなやつだ……
「心配なのよ」というママの顔が浮かぶ。
こんなやつを恥ずかしいと思うのは当然だよ。
ママは悪くない。
ぼくがぜんぶ悪い。
いろんなことが気になっちゃう。このぼくが悪いんだ……
こんな息子でごめんよ。
それでも悪あがきをしようと、問題集を開いて最初の問題に必死に取り組んでみる。
ええっと、こうだっけ……いや……
だめだ。さっぱりわからない……
「またやってないのかよ」と提出物を出し終わって着席した上野君が振り返って笑う。
「何してたんだよ昨日。またゲームかぁ?」
「そんなとこ……」ぼくはまたアイソ笑いをした。
となりで読書をしている橋本さんの舌打ちが聞こえた気がした。
そうこうしているうちに、始業のチャイムが鳴ってしまった。
「おはよう」と新橋先生が教室に入ってきた。
1時間目の終わりに、ぼくは真っ先に呼び出された。
今日は何を言われるのだろうか。
また、怒られることは分かっている。
今までだってそうだった。
心臓がバクバク音を立て、息が苦しくなる。
先生の机に近づくほど、空気が重くなっていく感じがする。
教室中が何食わぬ顔で友達と話をしながら、ぼくと先生とのやり取りに聞き耳を立てている。
ぼくは下を向いたまま、先生の机に向かった。
「宿題、今日もできていないな」
その声はいつもと変わらない冷たく鋭かった。
この声を聞くと、ぼくは緊張で言葉を話せなくなる。
適当な場所を選んで、見つめ続けるしかなかった。
「でも、最初の一問は解いた。そこが昨日とは、違う」
えっ。 ぼくは思わず耳を疑った。
結局また嘘つきか!と大声で叱られると身構えていた僕は、思わず一瞬先生を見た。先生は思いつめたように問題集を見つめている。
先生の雰囲気は、いつもより少しだけ、柔らかかった。
なぜだろう。いつもと違う感じがした。
そして少し間をおいて、先生は話しを続けた。
「昨日、先生は、あなたに 『どうにもならない嘘つきだ』 って言ったよな」
昨日のことだ。それは覚えている。
やっぱり嘘つきだったな。って、言うんだよね。
「あれは…………言い過ぎた。」
「 すまん……」そういうと先生は視線を机に落とした。
想像とはあまりにかけ離れた言葉に、ぼくは違う意味で言葉が出なくなった。
先生は、問題集を見つめたまま、先生らしくない少し揺れる声で話し始めた。
「イライラしてしまったんだ。 申し訳ない……」
その声は、なんだか弱々しく、必死に何か痛みをこらえているような感じがした。
「忘れ物をすることだってあるよな。 それを何度もすることだってある…… 不完全だもんな…… 先生も、同じだ……」
そんなことを、言う人ではなかった。
昨日とは180度ちがうことばに驚きを隠せない。
先生に、いったい何があったんだろう……
ショックを受けるようなことがあったんだろうか。
「宿題、できてないことにも理由があるんだろ。 教えてくれ。 言ってくれなきゃわからない。 今日は、やってみたけどさっぱりだった、って感じか?」
はじめて、理由を聞いてくれた。
言葉は出なかったけど、ぼくはうなずくことはできた。
「そうか…… じゃあ一緒にやるか、もしくは学校でその日やるところを、少し一緒に解いてから帰るか。 君は、どうしたい?」
その声と表情は、全く別人のように優しかった。
教えてもらうのは、ちょっと怖い……けど、今なら、なんだか大丈夫な気がした。
ぼくはのど奥に逃げる言葉をつかまえて、精一杯の力を込めて引き出し「一緒にやる」と言った。
今度は言えた。
「そうか…… じゃあ20分休みは空いているから、今日はそこでしよう。 オッケー?」
ぼくの体はさっきより軽くなっていた。
うん、とうなずいた後、ぼくは席に戻った。
席に戻る途中、壁際で友達と話しながら、目を見開き驚きを隠しきれていない橋本さんが目に入った。
ぼくもびっくりしている。
きっと橋本さんだけではないだろう。
何があったんだろう。
わからない。
わからないけど、これはきっと良いことなんだと思う。
ぼくみたいなやつでも "ここにいていい" って言われた気がした。
受けとめてくれるなら、今まで言えなかった言葉も、言えるようになるかもしれない。
何かが変わりそうな予感がした。
おっさんの一言
誰しもみんな、人間である限り、不完全だ。
だからこそ人は、完璧になりたいと願う。
子どものころから「完璧はかっこいい」「完璧である方がいい」「もっと上を目指せ」って教えられてきただろう。
そして、それは歪んだ価値観をつくってきた。
喜多朗みたいに、完璧じゃない自分が許せないやつもいる。
それはつまり、完璧じゃない相手も許せないってことなんだよ。
自分の不完全さを認めたとき、はじめて相手を心から認めることができるんだ。
なんでも完璧が求められる教室で、安心感を得られる子どもが、何人いるだろうな?
そんな教室の居心地はいいのか?
いつでも品定めされる教室で、限界超えるパフォーマンスができるのか?
これは学校だけの話じゃないぜ。
みんな不完全だ。それでいいんだ。それがいいんだ。
そうやってみんなのありのままを認めることが、" 安心 "できる場に直結してるんだ。
よく覚えておきな。
あ? そういうお前は完璧なのかって?
んなこと言わなくても分かるだろ。
想像しろ、想像!
第二話 裏 おわり
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