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骨折がくれた幸せ
幸せは相対的に感じられるもの。
この世にあるものは全てありがたいものなのに、私たちはそれに気が付けない。
当たり前というベールに包まれて、見えなくなってしまう。感じられなくなってしまう。
だからこそ、骨折という不自由のおかげで、得られる幸せがある。
この体験を絶対に忘れない。忘れたくない。
この感覚、この感情、この痛み、骨折がくれた幸せを感じる機会をいつでも思い出せるように、ここに残します。
骨折当日
夏休みお盆明け。なかなかに暑い日。
ママチャコ(妻)不在のため、おもちゃ王国にミニチャコ(娘)を連れて張り切って出かけるニキチャコ。
マ「なんか張り切りすぎて疲れださんといてよ~?なんかケガとかしそうやわ・・・」
二「大丈夫!」
そんなことを言いながら、張り切っておもちゃ王国に出かける。
実は3週間前ほどに、企業研修でおもちゃ王国にお邪魔しており、たくさんお世話になった職員の方々にお会いしたいということもあって、張り切っていた。
午前中は、おままごとゾーンで、エンドレスおままごと。下手したら一日いそうな雰囲気。これだけのおもちゃを自由に使えるのは神。感謝。と改めて感じる。
お昼は、食堂のものすごい人&腹減りミニチャコの機嫌は悪し・・・
KUMONゾーンでまた1時間ほど遊び、外の遊具へ。
ベビーカーを置いて、暑い中外で遊ぶ。
パタパタと屋内ゾーンへ走っていくミニチャコを追いかけようと、ベビーカーを取りに行こうとしたその瞬間。
グギッ(パキッ)「ふぐっっっ(@_@;)」
段差で足をひねった。
20cmほどの段差。
何か割れるような変な音もした。
よろめきながらも平静を装い、「え?この人大丈夫?」みたいな保護者達の視線を受けながら、ベビーカーを押してミニチャコを追いかける。
ベビーカーを押しながら、ママチャコの言葉がよみがえる。
マ「――なんか怪我しそうやわー・・・――」
ニキチャコは昔水泳選手だったため、足首に柔らかさには自信があったし、いままで何度も足をひねってきたけど、特に何もなかったから大丈夫、と思っていたが、今回は何か違った。
いつもは入らない屋内のプレイジム(大きなパイプやボールプールがある屋内遊具)に入りたいとせがむニキチャコ。
お世話になった職員の方にも気づき、痛みを隠して笑顔で対応するニキチャコ。
結局はいることになった。
ズキズキとした足の裏の痛みを我慢して、2歳半のミニチャコについてプレイジムをまわる。が、我慢できず。
一人で行かせるのは心配だが、周りの子どもたちを信じてミニチャコを行かせた。
二「ごめん、足が痛いから、ここにいてもいい?」
ミ「(*'ω'*)(コクコク)」
しばらくして時間終了。ミニチャコを回収に行く。
二「そろそろ帰るよ・・・」
ミ「やだきーんッ‼(≧▽≦)」
二「・・・( ;∀;)」
どうにかして抱っこして、ベビーカーに乗せ、ぐずるミニチャコに対して
二「もっと遊びたいよなぁ・・・わかるよー・・・(T_T)」
となだめながら、帰る。
帰りの運転は、痛みを抑えながら、人生で一番の安全運転でした。
幸運にも、柔道整復師の友達が帰省しており、すぐ連絡を取って、処置を聞いた。
テーピングを用意したり、冷やしたりしたが、なんか腫れだした足に違和感を感じていた。
案の定、夜に来てくれた友達は、「うん、90%折れとるな!」と診察。
二「やっぱりぃ~?・・・( ;∀;)」
友達は、「こんなん教科書でしかみたことない太古の技術やわ・・・」と言いながら、家にある段ボールを使って応急処置のギプスを作ってくれた。
本当にありがたかった。マジ大感謝!
骨折翌日 病院にて
先生「素晴らしい処置ですね!」
二「友達がやってくれたんです♪(*´ω`*)」
先生「折れてますね~」
二「やはりですか~・・・運転できるようになるまでどれくらいかかります・・・?」
先生「とりあえず6週間は無理です。」
二「・・・(え?仕事どうする?)」
とりあえず、固めず、包帯のまき直しをするタイプのギプスにしてもらい、松葉杖生活。週2ぐらいで病院に通うことに。
車いすを借りてきて、家では車いす生活。
一階を段差をなくした作りの家にしておいて本当に良かった。
夏休み中だったので、ほとんどの仕事は家で行い、年休をかなり使った。
勤務先にて
学校へは、幸運にも同じ地区に住んでいる用務員の方が毎朝乗せていってくれることに。
ミニチャコの保育園送迎と自分の送迎となると、ママチャコが倒れるので、本当にありがたかった。感謝しかない。
車を運転できるってそれだけで幸せなんだ。
靴を履くのも一苦労。学校についても、教室への移動がきつい。2階への移動がきつい。
子「え!?どしたんすか!?」
二「かくかくしかじかで・・・」
職員室でも教室でも、キャスター付きの椅子に座ってゴロゴロと滑りながら授業をするニキチャコ。普通に授業できることも当たり前ではない。
重たい荷物を背負ってバランスとりながら、階段を一段ずつ上がるのは一苦労。階段は気を抜けば落ちる。結構集中しなければならない。
子どもたちが気を遣って、「〇〇持ちましょうか!?」と聞いてくれる。
感謝しかない。素晴らしい子たち。
9月は運動会の練習が始まる。全体での動きが多いため、色々な先生に助けられて、準備をしていただいたり、全体指導を変わってもらったり、快く気をまわしてくださり本当に助かった。ありがたい。
しばらくすると、松葉杖にもたれているので、脇周りに充血。
手首に負担。痛み。
給食の時には、机が壁で、お盆をもっていけない自分を見て、子どもたちが
「持っていきましょうか?」と言ってくれる。大感謝。
帰りの会が終わったら、子どもたちが「何か持って降りるものありますか?」と聞いてくれる。大感謝。
職員室では、皆さんが気遣ってくれる。いろいろなところで動いてくれる。大感謝。本当に助かった。
帰りは、ママチャコか、近くに住んでいるニキチャコの母が、迎えに来てくれた。
母は、いつも「お疲れお疲れ」と飲み物や食べ物も一緒に持ってきてくれた。私は愛されている。
大切にされている。本当にありがたい。
家にて
トイレに行くのも一苦労。
どうしてもトイレ前まで車いすで入れないため、けんけんで移動。
前もって動かなければ、最悪の場合もれる。やばい。
トイレに歩いていけるって、当たり前じゃない。
1階に布団をもっており、1階で生活。でも風呂は2階。
階段が狭いため、松葉づえで上がるのは結構危険。集中力を要する。
風呂はタオルを巻いて、ビニル袋を2枚重ねて足を保護。
まともに風呂に入れない。普通に風呂に入れるって幸せなこと。
ここで確信。
足に縛りをかけることで、縛りを解いたときに超気持ちいい風呂が待ってる!
不自由の先には幸せがある!!
骨折のおかげで、幸せを感じられる!
ニキチャコが動けないため、ほとんどの家事と、ミニチャコのお世話をするママチャコ。大変そう。ほんとに申し訳ない。感謝しかない。
自由に家事が出来ることも、手伝えることも、当たり前じゃない。
洗濯物が干せるのも、当たり前じゃない。
ゴミ出しに行けるのも、当たり前じゃない。
外に遊びに出ることも、一緒にふろに入ってあげることもできない。
「パパ!こっちきて!」に、付き合ってあげられない。
だんだんと疎遠な感じになってくるミニチャコ。これは仕方ない。
パパは動けないからいないもの、みたいな感じになってくる。
ママチャコには、たくさんの迷惑をかけている。
足が治ったら、なにかお返しがしたい。
食器の片づけをするのも一苦労。お盆の重要性を初めて理解した。
車いすは手で操作するため、食器を持てない。お盆に感謝。
寝るときはギプスが邪魔で寝にくい。
ごにょごにょと布団の中でポジションチェンジできることも当たり前ではない。
保護猫コハクの圧迫排尿(膀胱を絞っておしっこを出す)は自分の係だったが、コハクを捕まえることもできない。ゲージの掃除もまともにできない。
手が届かないものをとるのも一苦労。いちいち立てないから車いすを移動する。
服は2階にあるので、毎朝ママチャコがおろしてくれていた。感謝しかない。
朝食は、わざわざ机で食べるのは手間が増えるので、寂しくキッチンで食べていた。机に持っていって食べられることも当たり前じゃない。
運動会
運動会の準備では、まるっきり役に立たない木偶の坊。
動けない者は、マジで準備は役に立たない。
保護者の方々にもたくさん手伝っていただき、ありがたかった。
運動会当日は、放送担当。実況中継。放送テントの守護。
片付けは、保護者の方がたくさん手伝ってくださった。大感謝。
そしてこのころには、松葉杖使いがうまくなってきた。
階段もそこまで集中しなくてもテンポよく上がれるようになってきた。
早歩きくらいのスピードでカツカツカツカツ!と、移動できるようになってきた。
そして運動会が終わって1週間後。
ついにギプスが取れる。
ギプスが取れた!
先生曰く、めちゃくちゃ治りが早いらしい。
約6週間かかった。
(もしかしたら、ケガしているところ以外に集中し、健康なところに意識を向けて、「自分は健康だ。だから足も健康だ」と勘違いさせるという方法が聞いたのかもしれない。もしくは、骨折という現状を受け入れて、骨折も無駄ではなく、ありがたいことだと考えていたからかもしれない。私は思い込みの力を信じている。)
包帯の巻き直しをするギプスだったので、かゆみが出たことはなかったが、足の指が象みたいに硬くなっているのは気になっていた。
ギプスをとると、足はシュガードーナツのコーティングにように、なっていた。
足をつけると、ピシッ!っとひび割れ、あかぎれのようになる。
足をつけるたびに、割れる皮膚が痛かった。
久しぶりに右足を浴槽につけた。縛りが解ける瞬間だ。
とても気持ちよかった。思い描いたほどではなったが。笑
イメージの中で味わいつくして、頭が慣れしまっていたんだろう。
でも、両足で風呂に浸かれることは、当たり前じゃない。
こすってもこすっても出てくる垢。というか硬い皮膚の残骸。
ものすごい量。数日は出た。
そしてやはり歩くたびに足の裏が割れる痛みはあった。
足に体重をかけて歩けることも、当たり前じゃない。
普段どれだけ、足に頼っているのだろう。
私たちは普段足に感謝していない。
松葉杖をつきながらも、少しずつ歩き始める。
足の裏って、いろんな部位の筋肉で支えているんだなと実感。
怪我をしなければ、それすらわからない。
内臓も、病気になって悲鳴をあげなければ、そこにあることすら忘れてしまう。
私たちはあまりに多くの身体組織にささえられえて生きている。
現在 リハビリ中
少しずつ歩くことをはじめ、家では基本歩くようになった。
まだくるぶし周りの腱が痛む。
できることがたくさん増えた。
まず、トイレにすぐ行ける。
すぐそこの物が取れる。
階段が苦じゃなくなった。
洗濯物を干せるし、しまえる。
ミ「パパ!ちょっとこっちおいで」にすぐ反応できる。
ミニチャコをお風呂に入れることができる。
ミニチャコを公園についていくことができる。
前は、公園に連れて行くのがしんどいなって思うときもあった。
それすらも贅沢だと気づいた。
公園に連れて行くことができるってありがたい。
これは当たり前ではない。
車を運転できる。
乗るときに足の向きを気を付けなければ、痛みが出るが、すっと車に乗れることも当たり前じゃないと気づいた。
当たり前のように運転しているが、これもまた当たり前じゃない。
右足に不安があれば、車は乗れない。大感謝。
今まで学校まで送迎をしてくれた、用務員の方、ママチャコ、母、に加え、父、教頭先生も、本当にありがたかった。感謝しかない。
病院の先生方にも感謝。
骨折した時期にも感謝。同僚には本当に迷惑をかけたが、八月末~10月初めの時期でなければ、体育を自分でしなければならず、完全に詰んでいた。
運動会の時期だったからこそ、体育は皆さんの協力によって何とかなっていたし、運動会が終わっても、教育実習生が来たことで、色々手伝ってもらえた。
よく考えれば、骨折するならここしかないという時期だった。
まとめ
骨折によって、何気ない日常は、全くもって当たり前ではないと気づいた。
移動できることも当たり前じゃない。
一年ほど日課にしていた散歩ができることも当たり前じゃない。
ちょっと急いで早歩きできるのも当たり前じゃない。
子どもと走って遊べることも当たり前じゃない。
階段の上り下りができることも当たり前じゃない。
一歩飛ばしできるのも当たり前じゃない。
足に体重をかけることも当たり前じゃない。
立つことさえ当たり前じゃない。
子どもの期待に応えられることも当たり前じゃない。
家事が出来ることも当たり前じゃない。
子育てに参加できるのも当たり前じゃない。
行事の準備ができるのも当たり前じゃない。
本当にいろいろなものに支えられて、見えない何かに支えられて、私は生きている。
骨折によって、気づけないものに気づけた。
この文章を書いていて、何度も「大感謝」「本当にありがたい」「感謝しかない」という言葉を使ってきた。
書きながら、幸せを感じて涙が出そうになった。
改めて感じるのは、自分の幸せは、「当たり前だと思っていることは全て、当たり前じゃない。」と気づくことだと思う。
そう感じるたびに、感謝があふれてくる。
当たり前が崩れたとき、はじめてそのありがたさに気づく。
崩れなければ、本当の意味に気づくことはできない。
「当たり前なことなど何もない」と何度も記事にも書き、子どもに伝え、頭ではわかっていても、本当の意味を分かってない。
しっかりとこの身をもって体験しなければ、本当の意味を感じ取ることはできない。
だから、骨折という不幸は、私に当たり前が崩れる体験をくれた。
幸せをより多く感じることができるチャンスをくれた。
普段めんどくさいと思うようなことも、当たり前が崩れたらできない。
やりたいことも、やりたくないこともできない。
その体験は、私に全てが当たり前ではないと気づかせてくれた。
少なくとも、骨折する前よりも「当たり前なことなど何もない」ということに対する理解が進んだ。
この骨折という体験自体も、とてもとてもありがたいものだった。
この体験ができて、幸せに気づけて、私はとても嬉しい。
足が治りかけている今、その感動は、薄れつつある。
骨折という最低ラインが更新されて、どんどん当たり前なことが戻ってきたから。
こうやって、私たちは、当たり前なことに対する感謝を忘れていくんだろう。
せっかく体験できた不幸を、そこから気づけた当たり前に対する忘れていくんだろう。
でもそれは嫌。
この骨折という体験を、しかと記憶に刻んでいきたい。
当たり前という見せかけの幻想に隠された真実を、「私たちは100%支えられて生きている」ということを、それに対する感謝を忘れないように。
そう思ってこの文章を書いた。
実際にその日思ったことを日記のようにつけていたら、もっともっと書けることがあったと思うけど。
それだけ出来事を忘れていくのは早い。
これからも、この骨折から得た幸せの記録を何度も読み返しながら、「当たり前なことなど何もない。感謝しかない。」を口癖にして生きていきたい。
不幸をしっかりと味わい、不幸に最大の感謝をして、これからも生きていきたい。
あなたがこの記事を読んでくださることも、当たり前ではない。
大感謝!
今回は、完全に私事についての文章でした。
どんな感想をもたれたでしょうか。
幸せは私たちの生活の中に、無限にあります。
ぜひ、見つけてみてください。
素晴らしい世界が待っています♪
最後まで読んでくださりありがとうございました
ニキチャコでした!
それではまた~(^o^)/
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