僕とあいつの奇妙な教員生活 第一話 裏
僕は、本田拓郎。
第一話 裏「本田拓郎の満悦」
「ただいまぁ~……」
玄関を開けて、だれもいるはずのない空間に、一応声をかけてみた。
けど、もちろん返事が返ってくるはずもない。
静まり返った部屋には、時計の秒針だけががリズムよく時をきざんでいた。
今日は帰ってくるのが遅くなると、朝に母さんが言っていた。
知っているはずなんだけど、どうしても言ってしまう。
ただいまって、言いたいのかな。
けど言ったら言ったで、胸をぎゅっとつかまれたような気分になる。
ランドセルを机の横にドスンと置いて、上着をソファーに投げた。
父さんは、最近仕事が変わった。
前の仕事はリストラされたらしい。
ふけいきのあおりだなんだって食卓で話しているのをきいた。
なんで父さんが選ばれたのかは、聞いてないし、僕も聞きたくない。
その日父さんは、ただ「すまん拓郎」とだけ言い残して、なんとも言えない表情のまま静かに自分の部屋に入っていった。
ぼくは、何も答えられなかった。
それからだ。母さんが家にいなくなったのは。
母さんはスーパーでパートを始めた。そして夜は、友人のツテで、紹介してもらった帽子づくりの内職をするようになった。
一日中働いている。いつも疲れた表情で、何か重たいものが背中に乗ってるんじゃないかと思うような足取りで帰ってくる。
父さんは、ホテルの仕事についたみたいだけど、僕が帰るときにはいない。
夜の仕事をすることになったらしい。週に1回くらいしか会わなくなった。
前よりは元気になったけど、一緒に遊ぶことは少なくなった。玄関には、ここ1か月くらい触っていない野球のグローブが転がっていた。野球クラブはやめた。送りむかえが無理になっちゃったから。
まだ4時半だけど、カーテンが閉まっているせいか、部屋はかなり暗く見えた。
散らかった部屋には、昨日の洗濯物がむぞうさに落ちている。
「よし…… たたんどいてやるか」
母さんが働くようになってから、今までほとんどしたことなかったけど、僕は家事をするようになった。
シャツのたたみ方を教えてもらったから、ほとんどできる。
すごいよね。われながら飲み込みがはやい。
そして、パンツをたたむのがが意外と難しいと知った。
とりあえず、全部たたんで上に積んでみる。
家族三人の洗濯物を合わせれば、けっこうな高さになるもんだ。
「あっ……」
洗濯物マウンテン頂上の靴下が落ちて転がっていく。
「もー拓郎!」
母さんだったらそういうかな。なんて思いながら、部屋のすみの洗濯かごに投げる。
残りの洗濯物もかごに入れ、部屋のたんすに片づけたあと、僕はご飯を炊く。これも僕の仕事。
ざりざりと米をとぎながら、時計を見たけど、まだ5時だ。
「米って、いつまでも白いのが出るよなぁ」とぼそぼそと独り言を言いながら、とぎ汁を流した。炊飯器のスイッチを押す。米はすこし柔らかい方が好きだから、水を少し多めに入れとく。
とりあえずここまでが僕にできること。
「ふぅ……」とため息をついて、ソファに座ったとき、車の音がした気がして窓の外を見たけど、勘違いだった。
しかたなく、テレビ番組をBGMにして宿題をすることにした。
外はかなり暗くなっていた。
ガチャッと音を立てて、玄関のドアが開いた。
「ただいまー…… 拓郎ー?」
その声に反応して、ソファからはね起きる。
玄関まで小走りで向かい、「おかえり母さん」と声をかける。
母さんは買い物に行っていたようで、両手に持っていたパンパンに張ったスーパーの袋を床におろして、長いため息をはきながら靴を脱いでいる。
その背中にはやはり疲れがにじんでいる。
「これ片付けるの?」
僕は、袋を指さしながら聞いた。
「あぁ……ありがと、冷蔵庫入れてくれる? あと、ごはん炊いてる?」
「うん」
「ありがとねぇ」
母さんは、こちらを見て少し笑顔を作った。肩が少し軽くなって、温かくなる。
僕は少し安心した。
それでもやっぱり疲れている。
僕は少し恥ずかしくなって、そそくさと重たい袋を抱えて冷蔵庫に向かった。
晩御飯も、風呂も終わったら、母さんは、内職を始めた。
真剣な顔で、コースターを縫っている。
小さい頃は僕の服も作ってくれていたらしい。その腕は一流だ。
母さんの友だちにもほめられたらしい。
「ねぇ、それどうやるの?」僕は一か八か聞いてみた。
「え? 難しいからあんたには無理よー」
母さんは笑いながら、ミシンを動かし続けている。その手は休めない。
「やってみたい」ぼくは真剣なまなざしで粘った。
母さんは「えぇ~…… 売り物だからなぁ~……」としばらく悩んでいたが、ふとこちらを見て、「まぁ、一つだけなら?」と上目遣いでにやりとして見せた。
「やった!」
学校の授業でミシンの使い方は習ってたけど、真っ直ぐぬうのはかなり難しかった。売り物にはなりそうにない。
それでも僕が何かやりたいと粘るので、母さんはぬい終わりの飛び出た上糸と下糸を切っていく作業を任せてくれることになった。
完成間近のコースターは縦側の糸でつながっていて、連結クリップを使った教室の水彩画の展示を思い浮かべる。糸をきれいに切って、コースターを切り離していく。だんだんと積まれていくコースターの束を見るのが、なんだか楽しくなってきた。
母さんが早く寝なさいと何度も言っていたけれど、やるといったらやるという僕のこの性格にはかなわない。僕のポリシーでもある。
結局200枚完成した。
やればやるほど効率が良くなってスピードも早くなる。糸切りバサミの使い方もうまくなっている感じがする。母さんにもほめられた。
気が付けば、11時を過ぎていた。
「ありがとうだけど、もうさすがにだめ。寝なさい」
真面目な表情で言う母さんは、もう寝じたくを済ませていた。
さすがに集中も切れてきていたので、大きな深呼吸をした後、手を止めた。「わかった」と渋々引き下がって、かけているメガネをずらし、かすむ目をこすった。
はみがきをして、布団に入る。
あっ! 宿題は!? やってた。よかった。
「おやすみなさい」
母さんの優しい声をききながら布団をかぶった。
「おやすみ……」
心地よいねむけが体を包みながらも、心の中は嬉しさがいっぱいだった。
よし、これからは、僕も手伝える。
僕も役に立てるかも。
メガネをとるのも忘れるほど、意識はすぐに布団に溶けていった。
次の日
目覚まし時計のデジタル音が響いている。
何度目だろうか。 2回目? いや3回目……
え? 3回目!?
僕はさすがにはね起きた。
動きたくないと必死に抵抗する体を無理やり動かす。
「ん…… ……もうこんな時間……」
その音で一緒の部屋で寝ている母さんも目が覚めたようだ。
超特急で服を着替える僕の後ろで、ため息とあせりの入りまじった声が聞こえる。
最近、朝ごはんはだいたい一人で食べている。
僕が起きる時間に、母さんは寝てるし、父さんはいないことがほとんどだから。
レンジの上の卵蒸しパンを口に押し込む僕に「遅れてもいいからしっかりかんで食べて」と眠そうな声をかけた。
「昨日はありがとね。でももっと早く寝るべきだったね」と母さんは笑った。
「今日は何時に帰ってくるの?」
ヨーグルトをかきこみながら、答えも分かっているだろうことを、一応聞いてみる。
「昨日と同じくらいかな」とソファからあいまいな返事が返ってきた。
「わかった。ご飯は炊いとく」
意外と出発時刻に間に合うもんだ。
起きてから10分で家を出られるとかすごくない?
なんて思いながら運動靴を履く。
「いってきまーす」
玄関のドアを開けると、朝日が目に突き刺さり思わず顔をしかめた。
「いってらっしゃーい。気を付けて」と後ろから声が聞こえてきた。
案の定、めちゃくちゃ眠たい。
まぶたが重たくて、自然とシャットアウトしそうになる。
目も心なしか熱をもっている感じがする。
さっきの授業も半分意識が飛んでいた。
ひじが机からすべった反動で起きたときには、クスクスと周りから声が聞こえた。
後ろの席の古谷にも「おい、寝すぎだろ。昨日の夜何してたんだよ」と笑われた。
もちろん裁ほうしてたなんて言えないから、「ゲームしてた」と適当に返していた。
さっきの社会の授業は、特に当てられることもなかったからよかったけど、次の算数は担任の新橋先生だ。
この人は、よく指名する。気をつけないと。
なんて思っていたけど、眠気には全く勝てそうにない。
気を抜けば意識が飛びそうだ。
母さんはいつもこんな状態なのか。
どうしてもこの目は仕事をしたくないみたいだ。
もうあきらめてえん筆を置き、かけているメガネもとり、さっきのてつはふまないように手はひざにおいた。首がガクンとならないようにまっすぐの姿勢をとった。
眠気に身をゆだね、視界が暗くなっていってしばらくすると、声が聞こえ始めた。
「……さん、本田さん! 起きてる!?」
「はっ」と閉じかけていた目を開け、落ちかけていたつばを飲み込んだ。「起きてます……!」と苦し紛れに宣言をし、背中に冷たいものを感じながら慌ててメガネをかけ、教科書を開く。
「問題読んで」と教だんのところから新橋先生はこちらにするどい視線を向けている。
必死にそれらしいところを探してみるが、もちろん……分かるはずはなかった。
「……すみません…………どこを読めばいいですか……?」
その問いに、先生は「なんで分からないの? 話聞いてた?」と首をかしげながら、まるでレーザービームを打ちそうな目でこちらに向けている。
思わず僕は教科書に目を落とした。背中に周りからの視線も突き刺さってくる。
「きちんと、話を、聞きなさい。学校来たんなら、もう起きる! いい!?」鋭く痛い口調で先生は言った。その言葉はもっともだった。もちろん言い返すことなんてない。僕は、下を向いて謝るしかなかった。
「はい……すいません…… どこの問題ですか……?」
先生は「もういい。近くの人に聞きな」と明らかにふきげんな様子だ。授業は再開されたが、もちろんクラスの空気は重い。
しかたなく後ろの古谷の方に向くと「ほら言っただろ」と言わんばかりのどや顔で「ここ」と教科書を指さした。
かなりヒヤッとしたけど、そんなことでねむけは収まらなかった。
休み時間に外でドッジボールをしていると、さすがに体が起きたのか、ねむけはなくなった。
放課後、家に帰ると僕はなかなかの名案を思いついた。
先に寝だめしておけばいいんだ。
せっかく母さんの手伝いができるようになったのに、これじゃやめさせられる。母さんが帰ってくるまで先に寝てればいいんだ。
そう思いついたら、即行動した。
たまっていた洗い物をすませ、ご飯をといで炊飯器のスイッチを入れ、洗濯物を片づけ、宿題を済ませた。
「あと二時間くらいはあるな」
ソファで寝て待ってよう。
なんだかうきうきしながらタオルケットをかぶって眠りについた。
思った以上につかれていたのか、意識はすぐソファにしずみ消えていった。
「……ろう ……どしたの? 調子悪いん?」母さんの声で目が覚めた。母さんが少し心配そうにのぞき込んでいる。窓の外を見ると、もう暗くなっていた。
「ん……いや…… 今……何時……?」
「もう七時よ」
目をこすりながら聞く僕に、母さんはため息をつきながらあきれ顔で答えた。
「昨日の夜遅かったのがこたえてるんじゃないのー?」
母さんは、荷物を部屋の隅に置きながら背中越しに言った。そして、上着を脱ぎながら「あ、家事いろいろありがとね」と言って洗面所に向かった。
よし。仮みん作戦は成功。すっきり起きている。全然ねむくない。
その後は昨日と同じ流れだった。
「いやけっこう上手だから助かるけどねぇ」
母さんは、少し心配そうな顔だったけど、仕事の手伝いをさせてくれた。
10時50分には終わって、寝る準備をした。
僕は作戦が成功したことと、おそらく母さんの役に立っていることに満足感を覚えながら、布団にもぐった。
その次の日
朝の寝起きは、最高……とは言えなかった。
目覚ましの一回目で起きたはいいが、体はズンと重い。目はしばしばする。
学校も昨日と同じようなものだった。
昨日と全く同じ2時間目の新橋先生の算数。
今日こそは寝まいを覚悟を決めてきたが、このまぶたは全く言うことを聞こうとしない。完全なる反抗期だ。
昨日のようにはならない。そう決めたはずなのに、体は勝手にスリープ状態に入ろうとする。
気が付けば、肩に手が置かれていた。
「はっ……」
「本田さん……」と先生が肩を叩いていた。
やばい。
急いで、黒板を見る。今やっているところは……
あせりをかくしながら考えていると、思いもよらない言葉が聞こえた。
「大丈夫か? 調子悪い?」
昨日とは打って変わって、それは優しいまなざしだった。
「あ…… あぁ……ちょっと疲れてて……」
180度違うその態度にどうようして、僕は思わず本音を言ってしまった。
「まぁ、無理はするなよ」
そういって先生は、黒板の方へ他の子のノートを見ながら歩いて行った。
僕は思わず「えっ」と言いかけたが、のどもとでおしこめた。
意外な対応に僕は何がなんだかわからなかった。
昨日の今日で、いったい先生に何があったのだろう。
その後も僕は何度もスリープ状態になりかけたが、昨日みたいにしかられはしなかった。
なぜだろう。
でも、少なくとも僕は、こっちの先生の方がいいなって思った。
おっさんの一言
目の前で居眠りされたら、ほとんどの教員はイライラするだろうなぁ。
そりゃそうさ。
でもそこには、居眠りする理由がある。
「居眠りごときでイライラする僕はいない」とかほざいていたが、そんな簡単に人は変われない。また不機嫌になるだろうさ。
喜多朗にはまだまだ指導が必要だ。
あんたもそう思うだろ?
第一話 裏 終わり
※この物語は、不定期更新です。
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