儚さは美学
蒼い星地球に生を受けて瞬きほどの人生の中、今感じるのは強さでもなく悲しさでもなく、喜びでもない儚さの存在です。
それは植物にも小動物にも見ること、感じることが出来ます。
それは寂しいのではなく哀れでもない短さに心が揺れるように思います。
永遠は望んでも叶うものではありません。それを知っているのは私たちだけで、感情が無いと思われている草花はその花で、実で、繋げようとします。真っ赤な花をつけて誇らしげであっても時が過ぎ朽ちるのはちゃんとわきまえているから毎年同じところできれいな姿を見せてくれるのでしょう。
動物もしかり。私の傍にはいつも犬がいてどちらかと言うとポーカーフェイスの秋田犬や柴犬たち。飼い主の目から見るとちゃんと要求があったり嬉しさを爆発させたり、すねたり叱られるとうなだれたりと物言わずとも分かり合えたものです。
でもいつも思います。近寄ると小さくお尻尾を振って愛情表現をしてくれるニケもその瞳の奥。何とも言えないせつなさを感じることがあります。それは私の感情が乗っかってそう思えるのかもしれませんが、その同じ目を町猫にも、隣のラブラドールにも宿っているように思えるのです。
あたかも生きること自体が儚くてその中に活きることを受け入れているからそんな目になるのでしょうか?
別れがあるから、それを知っている私たちだからなのは解っているのですが、あ~切ないと。
オリンピックももうすぐ閉会式。あっという間のドラマでしたが、そこで繰り広げられたドラマは心にぐさりと刺さって選手の背後にある血と涙の道さえも美しく、時は流れて選手の名前さえ忘れたとしても揺さぶられた心はいつまでも残ります。
力強く猛々しいまでの迫力ある姿の中に隠されている彼らのくじけそうになった気持ちや、ケガに悩まされ、断念しそうになったこころ。そのやわいすべてがそれぞれの中にありつつそれらとも戦っている、強くもありはかなげなモノが混ざり合っているからこそ人を感動させるのでしょう。
庭にセミの抜け殻。今年も我が家の庭にたくさんの穴をあけて這い上がってきてくれたことが何とも愛おしく思えるのですす。
儚いから美しい。その独特の美学は何色でもない掴むことが出来ない、そこはかとなくと尊いものに思えた夏の朝でした。
今日もいい日にしましょう!
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