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新しく!がいっぱい

サクラが咲くといろんなところで新しい門出を見ることが出来ます。

昭和の半ば、初孫の私の小学校入学は我が家の一大イベントでした。
早くからランドセルを準備してそれは床の間に鎮座していました。誰が置いたのかは定かではありませんが、その部屋を通るごとに私は立ち止まってこんなたいそうなものを背負っていくのかと少し気が重いところもありました。

親戚からは文房具品、靴下、通学袋、水筒にいろんなお祝い品が送られてきたり、のし袋の入学祝と大きく墨で書かれたものは袱紗に恭しく包んで持ってこられました。

当日は母も着物姿で私は真新しいランドセルをしょって少し離れた学校に向かうと、あちこちから同じような格好の親子が現れて目的地は一つ。小学校に向かいました。

あんなに長い時間先生の話や次の行事まで待っていることのなかった私は、これから毎日続くのかと思うと今までの自由な暮らしがすでに懐かしくちょっと行くのが嫌な気もしていました。

その夜は祖母が炊いたお赤飯にタイの尾頭付き、ハマグリのお吸い物。
ちいさなお正月がきたみたいなごちそうでした。

孫が見たなら「ケーキは?お部屋の飾りはないの?」と聞きそうですが、当時はこどものためのお祝いと言うよりは無事に入学できたことを家族が喜ぶと言った方が合っているような…。

近くの小さな男の子。初めて見かけたのはバギーに乗って片足を安全バーにひょいと乗せたワンパクそうな赤ちゃんでした。

それが幼稚園。ママと一緒に通園する道すがら葉っぱを勢いよく流れる溝に落としたり町猫に話しかけたりと遅刻するのでは?と心配するくらい前に進まない毎日でした。

いつもニケに手を振ってくれます。
そんな彼も今年から小学生だそうで、光陰矢の如しと言う言葉が浮かびました。

孫娘は幼稚園。裁縫の不得意な娘はさぞや!と思っていたら最近は自由で手作りの必要はないそうです。それは良かったと思う反面、それぞれの母親が作った袋を持つ姿を見れないのも時代!ですね。

毎日通園バックを斜めにかけて予行演習するのが日課になっているそうです。

そんなイベントは遠い昔となりましたが、私にも新しくと言うワードは消えていません。好奇心がある限りいろんなものに挑戦したいと思っています。

ニケは初めてチュールと言う棒状の中のおやつを体験して最初はこわごわでしたが、くわえて隅に行ったと思ったら一生懸命にしごいています。今はぺったんこの残骸の横で満足そうに寝ています。

今日もいい日にしましょう!



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