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小さな幸せはそこにある

あっという間に二月も半ばになりました。寒いや温かいやと毎日風邪を引かないよう服装に苦労しますが、引くときには引く⁈ということでしょう。何しろ免疫力しかないようです。

一週間をどのように過ごすかで、次のユダヤ教でいう土曜日の安息日までが違ってきます。無神論者でも節目があるのとないのとではモチベーションが違ってきます。

水曜日は友達とランチ!木曜日には待ちに待った映画を見に行く。週末には小旅行と楽しいことが待っているとそれだけで今週は幸せ!と思えます。

何も幸せとは大きな夢が叶うことでもなく ものを得ることでもありません。毎日を気持ちよく、少しはワクワクしたり楽しみにできることがあることだと思います。

反対に明日は試験!木曜日には親不知を抜く!金曜日には気の進まない会議となると一週間がいつもより長ーく感じます。まだ火曜日!

「嫌なことがまとめて片付いていいやー」と思えればラッキーです。

 小さな時、退屈で時間を持て余している私に「おとなになったら自由な時間が少なくなるんだから今の時間を大切にしなさい」と母はよく言っていました。その時は漠然と聞いていましたが、なるほどその通り!

おとなになるとついつい 面倒なことや気の乗らないことばかりを気にします。楽しいことを忘れています。よ~く思い起こすと今日も小さないいことはたくさんあったはず!

また物欲が満たされると幸せを感じ、手に入らないとなるとストレスがたまるという知り合いがいます。

手に入ってももっともっとと満足することがありません。それを追うことは次第に苦痛になってきます。物欲を満たすことが幸せになることでもなさそうです。

偏差値の高い有名校に合格することや大企業で働くこと、家庭なら電化製品や車、家を持つことが幸せになると信じられていた昭和時代もありました。そのために「今は我慢して勉強しなさい」とお尻をたたいた親も。「勉強しないとお父さんみたいになるよ!」と父親を引き合いに出す乱暴な母親もいてその時子供はどう感じたでしょう⁈かえって母親を嫌いになったりするそうです。

一時期、親たちの中にはこどもが受験を失敗した時、もう先がないようなことを平気で言う。子供ではなくて自分の人生がと言った人もいました。子供が自分にとって何なのかを忘れているのではと考えさせられる受験戦争の真っただ中、教育ママならぬ受験ママが横行?した時代もありました。

かりにその子が志望校に合格したとしても、その後、その子が幸福になれたかどうかは分かりません。その年代だからこそ楽しめたことを犠牲にしてつかんだものが果たして…。

 足元で寝ているニケはそんな事お構いなしに朝は2時間の散歩を満喫し、ご飯を食べてあとは寝るだけ!家が丸ごと犬小屋のような自由を得て、午前中は二階でひと眠り、午後からは階下でガラス越しに庭を見ながらうとしています。腹時計は正確で、おなかがすくと自分の食器の前で座って待ちます。それで彼女は大満足!幸せとはそういうものだと思っているようです。

何もないことが一番幸せなこと。今ようやくわかってきたような気がします。
今日もいい日にしましょう!



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