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たまには贅沢

若いころならごちそうと言えば天ぷらに串カツ。ステーキにとガッツリなものでした。

最近はなんたっておすし!
日帰り旅行も日本海や和歌山の魚が目当てになります。

そんなに日本と言う国や日本の食べ物を意識することが無かった学生時代。
神戸の洋食が大好きでどちらかと言うとカツレツにオムライス、エビフライ。蟹クリームコロッケは外食の定番。

関西から出たことが無かったのに何の抵抗もなく東京で住むことになり味の濃さやだしの色。牛肉より豚肉。同じ日本なのに馴染めない食事に驚いたものでした。

休日は下宿の近くの商店街。カウンターだけの天ぷら屋さんは安くてふらっと一人で入ることも覚えました。きっと両親が知ったらびっくりしたことでしょう。

今はその駅前の商店街はどうなっているでしょう。下町のお店が引っ付き合って連なる場所はアーケードもなく入り口には○○商店街と書かれたアーチ型の看板が掲げられていました。

お魚屋に八百屋。肉屋は真ん中あたり。その間には蕎麦屋、布団店やクリーニング屋には番犬がいて今でいう看板犬でした。タバコ屋にはお婆さんがいないときは猫のシロが店番で座ってましたっけ。

そのはずれに色あせた江戸前寿司と書かれた紺色の暖簾。
当時お寿司は高級なもの。特別なごちそうでしたがそんなに高くはなさそうと思える店構えに勇気を出して入ることがありました。

ちょっと偏屈そうなおじさんは「何だこの小娘!」と言いたげな顔つきでしたが、お財布と相談して梅のにぎりを頼みました。

最初は決まって白身魚、最後にマグロをとっておくのはそれが大好物だからです。さすがお寿司は江戸前と言われた意味が分かるほど美味しいお寿司でした。

それからは日本に戻ると羽田のお寿司屋さんにその時同乗勤務した先輩や同期と直行するようになりました。長らく日本食を食べることが出来ないときは高い日本食それも鮭茶漬け。当時は少なかった日本食レストランで食べました。お寿司などはまだまだの時です。

羽田に着いたらお寿司に行こう!が合言葉。
それは大げさですが日本食のすばらしさや日本と言う国に生まれてよかったと思える美味しいものの宝庫なのだということを認識した時期でした。

今は回転ずしで気楽に食べれるようになりました。それもなかなかのクオリティーで敷居の低さもありがたいことです。

昨日は私の誕生日でした。孫たちと娘からはハッピーバースデーを合唱する動画が送られてきました。プレゼントは「5月にこちらに来た時のお楽しみ!」と言って手を振っています。

娘が「その時は美味しいものを食べよ!」と言うとすぐに孫たちは「お寿司がいい!」と声を揃えます。

その日の夕方、息子が上等なお寿司とビールでお祝いしようと用意してくれました。いくつになっても家族から祝ってもらえることは嬉しいことです。

スタンプでのお祝いmailやLINE。友達たちが覚えていてくれていたことにもちょっぴり熱くなり…。

これからも美味しくお寿司が頂ける体でいよう!と改めて思える誕生日になりました。

最近は明けるのが早くなってきました。ニケは以前ほど張り切って走り回ることはなくなりましたがちゃんと私が靴を履くころには傍まで来てリードに足を入れる仕草をします。彼女も年齢に応じた生活をしているようです。

今日もいい日にしましょう!




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