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散歩の途中

近くの山も所々赤く染まって、秋真っ盛り。ハーブ園へのゴンドラがありんこの行列みたいです。

今日は何もしないと散歩中に決めました。
いろいろ中途半端になっていることがありますが、どうも気が乗らない。
そんな日は何もしないでおこうと…。

天邪鬼な私の心はもっとと言われると気持ちが萎えて、何もしなくていいと言われると何かせずにはおられない。厄介な性格です。

何もしないというのは行動と考えるの二通りがあります。
どちらもというのはなかなか難しくて、だらだらとしていても頭はいろんなことを考えています。
いつでもどこでも何かを考えるという習慣が身についてしまって、本当に心身ともにストレスを生まないことは不可能なように思います。

年老いた母親を車いすに乗せて散策している初老の男性を見ると、自分の将来が重なって、乗っている車いすからの風景に代わります。

小さな子供の手を引く母親を見れば、遠い昔の風景。落ち葉を拾って嬉しそうな娘の笑顔を見ている私がそこにいます。

それはちっともさみしいことではなく、心が満たされるページです。

またそれは人に話すことではなく自分に語る思い出話。

思い出や自慢話は何度も聞かされるとまたかとなって家族に嫌われるとか…。ましてや他人のとなるとなおさらです。

会話の途中でそれが出てきたらお互いがそこそこにというワードが必要な気もします。

歳を重ねると何度も同じことを言ったり、昔の自慢話をしがちですが、あくまでもその会話の一部として披露するのにとどめたいものです。

周りにもそろそろそんな人が増えました。新しいことに挑戦する気力がなくなったからでしょうか?家族との会話がないからでしょうか?今の生活や自身に満足していないからでしょうか?

ひとりは孤独ではなく自由だと思います。
しかし扱いにくくてかわいくない年寄りは寂しいからかまってほしいからだと聞きましたが果たして…。

自分の行動や言動が分からなくなって寂しい思いをしている人もいます。
そんな時は少しの時間をその人の話に耳を傾けてうなずいてあげることも大切です。

帰り道、先程の車いすのご婦人が小さく笑いながら後ろの男性と話しています。いろんなことを話せたのかもしれませんね!男性も笑っています。きっといい散歩になったようです。

今日もいい日にしましょう!





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